スイートスプリングの花の色


 子供の頃から使い続けているベッドに、久しぶりに帰って来た幼馴染と二人、色気なく寝そべってしまった。それから一ヶ月。私は本当にシュートシティに引っ越してしまっていた。

 まずは一緒に部屋を見に行こうとりあえず見に行こうすぐ行こうと連れ出されて、私は初めてシュートシティを訪れた。
 最初は垂直に空へと伸びる建物たちや観覧車に驚いた。そのあとは人の多さに驚いたあと、街全体の眩しさが印象に残った。いくつもの電光掲示板もそうだし、街の明かりの強さひとつひとつが違くて、歩いている人たちも服にウールーの毛や泥がついている人が一人もいないからきらきらして見えるのだ。
 今まで見たことのないものばかり。田舎者だとわかってしまうと思いながらキョロキョロ辺りを見渡すのがどうしてもやめられず、さすがガラルで一番都会のシュートシティだと思った。

 不動産屋さんに紹介してもらった部屋はハロンに昔から建つ実家とは色々と勝手が違った。というか二階より高い建物に住んだことがなかった私は、空いている部屋は4階だと言われて、その時点でそわそわしてしまった。
 綺麗な広いキッチンや、眺めの良さなんかに感動しているうちにダンデがすぐさま話を進めてしまい、気づけば私の手元に合鍵が届いたのだった。

 合鍵と一緒にダンデには「もうオレは住んでて、が来るのを待ってる」なんて言われしまい、引越しの日程も気づけば決められていて、ダンボール箱に荷物を詰めるのまでダンデに手伝ってもらい。自分の心が追いつかないまま、私は母に送り出されていた。


 見慣れない天井で目がさめる。街が違えば朝日もどこか違う気がした。
 なんとなく、頭を撫でてもらったような記憶があった。大きな手のひらの感覚を追いかけて眠りから覚めたと思ったのだけれど、部屋に他の人の気配はない。ダンデはすでに出かけているらしい。

 とりあえず歯を磨き、冷蔵庫からパックのきのみジュースを出してグラスに注ぐ。
 広いキッチンには最低限の食器と、とりあえず買ったパンくらいしかない。新居はまだ揃えていないものばかりだ。色々買い足さなきゃいけないけれど、忙しいダンデに言うのは気がひける、などと考える。
 シュートシティに来て三日目だった。まだ72時間、されど72時間。私はじわじわと、とりあえず自分がしばらくここで暮らすことを受け入れ始めていた。


 なぜ引っ越し先がシュートシティだったのか、最初は疑問だった。
 率直に聞いてみると、ダンデが次にこなす大仕事はシュートシティーの旧ローズタワーを中心に行われるとのことだった。
 ローズタワー改めバトルタワーは家からも見え、スタジアムや観覧車、モノレールに負けず劣らず目立っている。ダンデも困ったらリザードンとタワーまで飛べば良い、というわけだ。途中で抜け出して帰ってこられる距離だから、何かあったら呼んでくれともダンデは言っていた。
 実際立地はとても良い。バトルタワー以外にも駅もお店も近い。窓から川も見えて、眺めも良い。

 チャンピオンを辞めても忙しい身のダンデが仕事先の近場に家を構えるのはとても自然な発想だ。そこはわかる。だけどそこへ、私が連れてこられたのは、未だちょっぴり理解しきれない。

 どんなに街が綺麗でも、私は田舎娘の。ハロンで着てた服装そのままの自分が街並みから浮いている自覚はあるけれど、出かけなければならない。
 今日はもう一人の大事な幼馴染ソニアから、会いに行くと連絡が入っているからだ。




 待ち合わせ場所は駅の構内にあるカフェだ。少し騒がしいけれど、ソニアにとっても、まだ街に不慣れな私にとってもわかりやすい。
 改札の中から大きな黄色い花束を抱えたソニアが現れて、私を見つけるなり大きく手を振ってくれる。

「やあ! ちょっと早いけど結婚祝いだよ!」

 近づくなり腕の中にパスされた花束。 目の前に広がる黄色と香りに意識を奪われていると、ソニアに凄まじいことを言われ、一気に何も考えられなくなった。

「ままままだ結婚まで話行ってないから……!」
「ええ? でも二人で暮らすってそういうことでしょ? うんうん、幸せに戸惑ってる姿がいいねえ!」
「っもう今日は好きなのなんでも頼んで! ご馳走する!」
「やったぁ!」

 ソニアはお腹が空いていたらしい。座るなりサンドイッチのプレートを頼む。私もソニアに合わせて、少し早めの昼食をとることにした。
 腰を落ち着けて、ソニアの近況を聞くと、改めてやりたいことが山ほどあるのだと教えてくれた。うんざりした表情ではなく、生き生きした顔で語ってくれる。その姿はもう白衣がない彼女の方が違和感を覚えるくらい、様になっていた。
 彼女の話がひと段落したところで、私は思い切って切り出す。

「ソニアは、知ってたんだよね? 私たちのこと」
「あー……」

 わかりやすくソニアの視線があらぬ方向へ逃げる。嘘がつけない彼女の答えを待つと、苦笑いしつつ教えてくれた。

「まあ知ってた、よね……」
「やっぱり! なんで教えてくれなかったの……?」
「なんでって。わたしが知った時はすでにあんたが花屋の息子と付き合ってたからだよ!」

 やっぱり花屋の息子か! 予想はついていたけれど、あちゃあと手で顔を覆った。

「で、でも私の気持ちも知ってたんじゃないの?」
「うーん。もしかして両思いなのかなーって気はしてたけど、はっきり好きだって聞いたわけじゃないし。あと、なりに先に進もうとしてるように見えたんだ。わたしにも、ダンデにも」

 ぐうの音も出ない。確かに二人が気を使わせたくなくて、めいっぱい明るく過ごしているように見せたのは私だ。故郷に残っても私は大丈夫だと、思ってもらいたかった。そんな私は、ダンデを忘れて新しい恋をしているように見えたことだろう。

「ダンデが拗らせだしたのもその時期でさ。わたしもはっきりと確信持ったのは後からなんだ」
「そ、そうだったんだ……」

 ソニアという第三者の視点が入って来て、ようやく物事の順番が明らかになって来た。

 多分、ちゃんと恋を自覚したのは私の方が先。ダンデが旅立ったあと、帰ってこない人への気持ちを自覚した。帰ってくることをいつか夢見ていた頃もあったけれど、ダンデはチャンピオンになって、さらに遠い人になってしまったのだ。
 そのうち、あいつこと花屋の息子と私は田舎者同士、意気投合したのだ。まあ言ってはなんだけど、そこでダンデへの気持ちを貫くことはしないで、次の恋愛を私がしてしまった。
 ダンデはその後。ソニアの言葉を借りるなら、拗らせた、らしい。

 私が花屋の息子と付き合ってしまったから、いろんなことが今になってるということか。
 後悔がつのる。だけど、あの頃の私がダンデを一途に待ち続けられていたかと思うと、やはり私は辛さに負けていたように思うのだ。

「そんな悲しい顔しないで。わかってるよ、わたしは。が次に進もうとしてたこと」
「うん……」
も楽しそうにしてたから、ダンデの気持ちを教えてあげても逆に困らせるかもしれないとかも考えてさ。結局、これでいいんだってわたしも思うことにしたんだ。だから言えなかった、よね」
「ごめんね、ソニア」
「ううん、わたしこそ! してあげられたこと本当に少なかったなぁって思ってたからこそ、二人が幸せになるのは嬉しいんだよ!」

 勝手にがんじがらめになっていった私とダンデを想い、時に沈黙しながら見守ってくれていたソニア。彼女の優しさが痛いくらいに突き刺さる。
 彼女をそこまで悩ませていたことを私は知らずにいたというのに、今「おめでとう」と屈託無く祝ってくれるソニアには、ありがとう以上の感謝の気持ちが湧き上がってくる。

 だけど同時に罪悪感もゆらりと立ち上がる。

「ソニア、謝らなきゃいけないことがあって……。私ね……」

 そして私は本当に情けない事実をソニアに告げた。
 案の定、すぐ店内にソニアの驚愕の声が響き渡った。

「っはああぁ!? まだ、ダンデに好きって言ってないの!?」
「言おうとしてる」
「でも言えてないんでしょ!?」
「……、はい……」

 そうなのだ。ダンデはまだ私の気持ちを知らない。
 あの屋根裏部屋の会話を振り返ると、そもそもダンデが私を連れ出した時の殺し文句は「オレで忘れろ」だった。おそらく、私の忘れられない人が自分自身だと気づいていない。
 長すぎた片思いで私自身も拗らせている気持ち。うまく伝えられる自信はないが、伝えようとは思って、何度も切り出そうとしてきた。だけど、今日までタイミングがなかった。いや、タイミングが外されて来たのだ、ダンデによって。
 私が真剣に話そうとすると、仕事の話をしたりポケモンの話をしたり、私への気遣いを口にしたりして、暗に聞きたくなそうな仕草を見せられるのだ。

「え……、それで一緒に住み始めるの……? 本気で言ってる? どうなってるわけ? 二人とも正気……?」
「何も言い返せない……」
「なんだもう、ダンデにはがついて、にダンデがついてれば、二人のことは心配しなくて良いと思ってたんだけどなぁ」
「ご、ごめん」
「早いこと言ってあげなよ、ね! ダンデの気持ちわかってるんでしょ!」

 ソニアに元気よく言われ、思わず頷いた。
 散々心配をかけてしまったもう一人の幼馴染。困ったように笑う彼女に、私もダンデに好きと言われたわけではないんだよね、なんてもうひとつの事実を打ち明けることはできなかった。




 ダンデは昨日よりは早く帰って来た。おかえりと言うと、少年みたいにダンデが笑う。だけど「ただいま」と囁く声は大人だった。

「今日の仕事はもう終わったの? お疲れ様」
「ああ。チャンピオンを全力でやっておいてよかったなと思うよ。リーグに10年関わってきてよかった。オレが把握できていない部分がもっとあるんじゃないかと思ったが、救われる場面が多い」
「えらいね、ダンデは。すごい!」
「はは、すごい、か」
「うん!」

 彼の頑張りに報いたくて拙い語彙で褒めると、ダンデがニヤと笑って喜んでくれた。その笑顔がなんだか色っぽくて、私の方こそ報われてしまった。

 シュートシティに住むことになった。その事実に頭は追いついてきたけれど、ダンデと一緒に暮らすことについてはまだ理解が追いつかない。
 二人きりで食事をするのもまだなんだか慣れない。一緒に夜ご飯を食べて、そこから別々の家に帰らないなんて、不思議で仕方がない。食後に一緒にお皿を洗うのも変な感じ。寝る前の時間、お互いにラフな服装でソファに並んで座るなんて、初めてだし、一緒に暖かいドリンクを飲みながら今日あったことを話すのも今までやったことのない行為だ。

 二人きりなんて、滅多にないことだった。幼馴染とは言えど、私とダンデはやっぱり離れて10年過ごしたことを実感する。と同時に横を見ると安らいだ様子のダンデが座っていることが、夢のように感じられた。

「あ、あのね、ダンデ……」

 言わなきゃ、ダンデに。ちゃんとずっとずっと前からダンデが好きでしたと。ダンデは忘れろと言ったけれど、忘れられない人はあなた自身なんだと。
 大事にしまってあるダンデとの思い出がいっぱいある。好きだからこそ苦しんで、苦しんだが故に別の恋にも挑戦してみた。
 思い出すと切なくなってきた。そうじゃなくて、悲しかった過去に目を向けるのではなくて。私はダンデが好きだから、一緒に居られる今がとても幸せだと伝えなきゃ。

 過去に捨て去ろうとした感情と、今与えられることで得た感情。どちらも大きいすぎる上に、合わさるとますます私の手に追えない。
 ああ違う。言わなきゃいけないのはシンプルな言葉なのに。
 喉をつまらせながらも、どうにか気持ちを整理しようとした。けれどそれを中断させたのはダンデだった。

「そんな顔をするな。心配なら何もいらない」

 決して強引なものではなく、どちらかというと恐る恐る触れてきた手に、肩を抱き寄せられる。座っていただけの距離感から、体が触れ合うものになって、あっという間に考えていたことが吹き飛んでしまった。
 あの夜も同じくらい近くにいたはずなのに、今はただただ恥ずかしい。自分が熱くなっていくのがわかる。だけどダンデの体温はそれ以上にあったかくて、心地のいいものだった。
 嫌ではない。ダンデとこうしてくっつくこと。私も頭をダンデの方に傾けると、その気持ちが伝わったのかさらにダンデは私を膝の上に載せてくれた。

 そっと肩に手を載せると、ダンデも嫌がらない。ああずっと欲しかったものだ。私はずっとダンデとこうして存在を受け入れ合いたかった。そう思うと、今はどこまでもダンデを感じたくなって、難しい気持ちが溶けていく。
 ダンデとこうしてるとどきどきもするけれど、深いところまで安心して、次第に眠くなってきた。

「うう……。ダンデに甘やかされすぎて、このままダメになりそう」
「それもいいな!」
「よくないよ……」

 今回もちゃんと気持ちを言おうとしたのに、ダンデによって調子を外されてしまった。
 だけどダンデはこの近い距離で囁く。

「それでいいんだ」
「………」

 いいの、かな。ダンデはそれでいいと、私に言うけれど。
 私を叱ってくれるのはただ一人だけ。

“それでいいの!?”

 そうソニアが私の名前を呼んだ気がした。けれどそれも今だけの、幻のようなあたたかさに押し流されていった。