※LEGENDSアルセウスのエンディング後ネタバレあり
※ヤンデレ、狂愛、洗脳、監禁、略奪愛といった要素を含みます。ハピエンでもないです。




 曾お爺さまの代から一族と生きて来た私のゴルダックが、ついに寿命を迎えたのは春の終わりだった。
 私のゴルダックとは言うものの、私が主人であったのは幾ばくか。両親が早世し、間も無く床に伏せった祖母から受け継いだ後、何の巡り合わせか私の代で別れの時が訪れた。

 最期を看取ったに過ぎない。けれども私が赤子の時からの寝食を共にしたゴルダックだった。老いたゴルダックは言うなれば、二人目の祖父のような存在だった。人間とはまるで違う生き物ではあったが、私はゴルダックが好きだったし、ゴルダックも私のことを、まあ手間のかかる遠い親戚くらいには思ってくれていたと思う。
 家の水瓶に入り込んでいた小さなコダックが家に居着いた、その日より一族に力を貸してくれていたゴルダック。人懐こく、とても優しいせいかくだった。ゴルダックの墓は、彼の魂が乾くことがないよう、美しい池の近くに作ってある。

 まるで違う種族でありながら肉親だったゴルダックを失って、私は孤独になると共に、一族の役目を終えることにもなった。
 両親はもちろん、お婆ちゃんもゴルダックもいなくなった家での暮らしはとても寂しいものだ。おかえりを言う人も、帰路を共にする存在もいない。
 一人の寝床。心細い夜から目を背けるように、私はその夜も目を閉じた。




 目を開けると、そこは私の布団ではなかった。周囲もコトブキムラの木の匂いがする長屋ではなく、黒く濡れる岩壁に囲まれている。起き上がろうと突いた手の先は冷たい水たまりで、思わず悲鳴が出た。
 気は動転していた。ここはどこだろう。辺りは暗く、むわりとした湿気に満ちている。時たま水の滴る音が聞こえる。どこかの見知らぬ洞窟のようだった。

 寝てる間に連れてこられた知らない洞窟。てっきり無法者の誰かに拐かされたと思っていた私は、闇からぬうと表した姿に、私は喉を引き攣らせた。

「ひっ……!」

 ぽたぽたと水音を立てながら近づいてくる、大人をゆうに超える大きな体。明らかに人とは異なる姿。どうしよう、ポケモンだ。
 丸腰でポケモンと出くわしてしまった。それだけで恐怖が背筋を駆け抜ける。動揺して定まらない視界で、そのポケモンはゆらりと依然体を揺らして私に迫ってくる。
 しとどに溢れる体液に、背中のカラ。触角も手足も伸び、大きく成長しているが、その二つは調査隊読本にて習ったヌメイルと特徴が同じだ。
 ならば。このポケモンはヌメラたちの親分と呼ばれる、ヌメルゴンではないだろうか。

「こ、来ないで!」

 初めて目の当たりにしたヌメルゴンに思わず叫びをあげるも、ヌメルゴンはゆらゆらと体を動かしながら私に手を伸ばしてくる。
 みっともなく後退りながら、私は必死に読本に書かれていたことを思い出していた。ヌメラとヌメイルの特徴、体液は時に毒を持つとも書いてあった気がする。
 ならば私はこのまま食べられてしまうのだろうか、それともヌメルゴンの体液で表皮から骨まで溶かされてしまうのだろうか。それはどんな苦痛を伴うのだろうか。
 ぎゅるおお……とすぐ近くで震える人ならざるものの唸り。
 暴れて抵抗しても敵う相手ではない。とにかく立って、逃げないと。恐怖の中、足に力を込め立ち上がった。

 けれどそんな私を呆気なく軟体の腕が私を絡めとる。歯の奥を震わせながら上を見たが、覗き込むより先に、ヌメルゴンの体液が固まりとなって私に顔へと落ちてきて、私は叫ばずにいられなかった。
 気持ち悪くて恐ろしくて、何が何だかわからない。そんな私をヌメルゴンはぎゅうと腕に捉えるとそこから片時も私を離さず、強い力で私の身動きを許さなかった。



 このヌメルゴンは、私を一体どうしたいのだろう。
 叫び通して枯れた喉の痛みをこらえ、かろうじて息をつなぎながら私はぼうっと思案した。

 私がヌメルゴンに捕らえられ、最初は大声をあげ抵抗した。もがいて、危険を招く行為だと分かりながらヌメルゴンに爪を立てたりもした。けれどヌメルゴンのぬめった体は、いとも簡単に抵抗を受け流した。

「うう……」

 なおも私を濡らすヌメルゴンの体液の気持ち悪さ。それから自分より明らかに強い生き物の手の中にいるという緊張で、とてもじゃないけどじっとしていられない。なのに私が小さな声をあげると、まるで落ち着きのない赤子をたしなめるように、柔らかな体に強い力を込めて抱きしめられる。その力はヌメルゴンの中に埋められてしまうのではないかと思うくらいだ。
 ぬるりとした両腕に捕らえられてからずっと、ヌメルゴンは私が少しでも身じろぎをすると、押さえつけるように抱きしめ直した。そのせいで私はゆっくりと逃げ出そうとする意思を失っていった。

 ヌメルゴンに抵抗を封じられてしばらくすると、少しだけあたりを伺う余裕がでてきた。そして私はこの洞窟にもう一匹のポケモンがいることに気がついた。ヌメルゴンとは全く違う、小さくて、空を自由に飛ぶポケモンだ。
 頭部は桃色で、額には赤の宝玉。四肢はこぢんまりとしていて、まるでお人形のような可愛らしい印象を受ける。さらに特徴的なのは二股の長い尾だ。尾の先にも額のものと同じ、赤の宝玉が埋め込まれている。
 そのポケモンが舞うたびに、尻尾の赤は鈍く光って、その煌めきは私の胸をざわつかせた。

「エム、リット……?」

 その呼び名は頭の中へ直接、響いたものだった。おそらくエムリット本人から伝えられたのだろう。確かめるように声に出すと、金色の目がきゅうと引き絞られた。

 エムリット。何度か頭の中でその名を反芻する。同時に私はエムリットの正体を探ろうと記憶を掘り返した。
 だが調査隊の読本でもその姿を全く見たことがない。その特徴についても、風の噂にも聞いたことがない。ヌメルゴン以上に珍しい、もしかしたら隊長や博士ですら未だ知らないのではないかと思うような、未知のポケモンだ。
 正体やどのようなわざを使うのかも不明だが、相手がポケモンというだけで、私はエムリットを警戒してしまう。
 けれどエムリットが私に危害を加える気がないことは、そのあとすぐにわかった。なぜならエムリットが、私に食べ物を運んできたからだ。

 急に空中に何かが現れたと思ったら、洞窟の地面に落ちたのはいくつかのきのみだった。
 そしてエムリットが淡く光ると、ヌメルゴンはエムリットに応えるように一度鳴いてから、ようやく腕の力を緩めてくれた。

「う、っ……」

 おそらく一日以上はヌメルゴンにいいように抱きすくめられ、不自然な体勢を保っていた私は疲労で地面に倒れこんだ。体は気持ち悪いままだし、這いつくばった地面は冷たい。だけど、ぼんやりとエムリットのおかげで解放されたことは感じられた。

 ずっと喉が渇いていた私は、なりふり構わず洞窟の水をすすった。叫びすぎで痛むのどを水で癒していると、洞窟を揺らすような竜の鳴き声が降ってくる。かろうじて首をあげると、ヌメルゴンがその手で私にきのみを差し出していた。

 ようやく離れたところで見たヌメルゴン。私がきのみを受け取るところを、じっとりと見つめてくる。
 ヌメラやヌメイルたちの総大将は、思ったより悲しげな目をしている。覗き込むその間だけは、いつ手足を捻られてもおかしくないという恐怖が、一瞬、遠のいた。







 ぬるりとした抱擁に拘束され、もう何日が経っただろう。当てずっぽうで言うなら、七日は経ったような気がしている。
 その間、エムリットが何か食べ物を与えてくれたのは五回だ。どうにか死なない程度の量である。

 私は少しずつ状況を理解し始めていた。
 まず、私をコトブキムラからここへと連れて来たのはエムリットだ。エムリットが何回かきのみやらをこの洞窟に出現させる様子を見て、同じやり方で私を連れ去ったのではないかと私は踏んでいる。距離を無視して物体を移動させるのは、ヌメルゴンのできるわざではない。
 それを裏付けるように、エムリットは一度、イモモチの丼を洞窟に出現させている。洞窟に突然、丼が現れて地面に落ちた。丼は無残にも割れてしまったが、その様子を見て、私もああやってここに来たのだと思わせられた。

 ここにいるうち、エムリットとヌメルゴンの関係性も少し垣間見えてきた。
 ヌメルゴンはいつもエムリットには従順だ。対してエムリットの方は気ままで、自由に振舞っているように見えた。どうやら力関係はエムリットの方が上のようなのだ。
 体の大きさに反する二匹の関係。得体の知れないエムリットに対する恐怖が、私の中でますます募った。

 エムリットが恐ろしくなると反対に、私はヌメルゴンへの恐怖をゆっくりと溶かしつつあった。
 二匹のポケモンに囚われることへの慣れと、疲れも大きかった。なぜならヌメルゴンは執拗に私を構うのだ。
 寝ても覚めても、このポケモンは私に寄り添い、まるで中に埋めたいのかと思うほどに甘く体を絡ませてくる。そして少し体が離された時は、ヌメルゴンは私を愛しそうに見つめる。相手はポケモンだ。愛しそう、と言うなんて間違っていると思う。だけれどヌメルゴンの仕草はまるで、私がそこにいることを喜んでいるように見えるのだ。
 四六時中の抱擁はもちろんだが、ヌメルゴンは時にその柔らかな口で私を噛む。あちこち、ありえないと思うような場所にまでふにゃふにゃの口を這わす。
 ポケモンに噛まれて、怖くないと言ったら嘘になる。怖い、はずだ。だけど恐怖でいっぱいになった私の頭は今、ヌメルゴンに触れられると霞がかかったみたいにぼんやりとしてしまうのだ。

 洞窟の中でヌメルゴンに捕まった時、もう私の命は無いも同然だと思った。だけどエムリットもヌメルゴンも、とりあえずは私を生かしていてくれるらしい。
 そんなことを考えるうちにまた、私の身体が限界を迎えた。私がうつらうつらと目を閉じ、地面に横たわるとヌメルゴンはそれを掬い上げ、今夜も私を両腕に抱くのだった。