※自分の中のウォロさん観を固めたり、確かめたりするためのお話です
※とりあえず甘々にはなりません




 一番に目に入ってきたのは、口の形だった。横に長く伸びていて、その口端は僅かに上がったまま。まるで糊付けされたみたいに崩れない。
 痩せこけた月の形を保ちつつ、薄い唇はすらすらとよく喋るのだろうとすぐに想像がついた。だから私はすぐに警戒心をもって男に接した。きっとこの商人は、うまく人を口車に乗せてしまって、あれよあれよと自分の懐を肥すのだろう。

さんですね」

 その日も私は外で手帳を開き、このヒスイの地についての観察や記録をつけていた。最近顔馴染みになってきたモンジャラをスケッチしていたところへ、ずいと割り入ってきた。
 それがウォロとの出会いだった。

「お噂はかねがね!」
「はあ」

 私はぽかんと口を開ける。彼が聞いたというのは、一体どんな噂話だろうか。
 コトブキムラの人たちが囁いていそうな事は思い当たる。
 偏屈な女学者が、これまた偏屈な場所に一人住んで、得体が知れなくて気味が悪い。
 こんなところだろうか。

「ジブンはウォロと申します! この胸の記章の通り、イチョウ商会の者です。怪しい者では決してありませんので、ご安心を」

 ウォロと名乗った長身の男は、自分というものをよく知っているようであった。
 男女の体格差を埋めるように彼は腰をかがめ、行き過ぎなくらい人の良さそうな微笑を浮かべている。動きは柔らかで品がある。だがやや大げさで、それも承知の上で振る舞っているきらいがある。
 全体として堂々とした振る舞いを見れば、ウォロという男は己の見目の良さを承知済みなのだろう。きっと片目を覆うような金の髪の美しさも心得ている。
 調子良く滑り出した彼の唇から、私はそっと目を逸らした。

「こちらにもポケモンのことを研究している女性博士がいると、ラベン博士から聞きまして!」
「はぁ。ラベンさんに、ね」

 思い浮かぶのは、しばらく見ていない同業者の顔だ。私などにも優しかった彼は元気にしているのだろうか。
 ラベンさんだけでなく、人と喋ること自体が久しぶりだ。ゆっくりと脳の奥で寝てる言語野を呼び起こしながら、私は彼、ウォロを覗き込んだ。

「で、なに。商人って言うくらいなら、あんたは何か売りに来たの? それとも買いに? ああいや、買わせに来たのかな」

 愛嬌のかけらもない言種に、にこやかだった彼も一瞬は目を丸めた。
 ほら、噂通りの偏屈さだろう。そう胸の内で彼の固まった笑顔を揶揄する。

「生憎とうちは間に合ってるよ。売りも、買いもね」
「そうでしたか。今日はご挨拶がてらに寄ったまでです。さん、何かご入用のものなんかがあればジブンにぜひ聞かせてくださいね。喜んでご相談に乗りますよ」
「特にない」
「ええ。さんは随分と長く一人で暮らしてるとお聞きしてますし、そうだろうとは思っていました」

 ウォロはそう言って、私の家の周りに視線を走らせる。
 木造のぼろ屋が私の住処だ。以前は観測拠点として使われていたが、ポケモンの通り道だということがわかり、危険なために打ち捨てられたものである。
 軒下には吊るしたばかりの乾物が簾のように重なっている。周りには畑に、いくつかの果樹。そればかりで、侘しくさもしいものだ。
 私の住居にじろじろと不躾な視線を這わせるこの男にはさっさと去ってもらいたい。けれど、私はたったひとつの好奇心に負けて、その男に自分から声をかけてしまった。

「その」

 家を見ていた男がぐるりと振り返る。

「なんだ。彼は……、ラベン博士はお元気で?」

 人の良いラベンさんのことだから、今もあの大所帯のギンガ団でも、一員としてうまくやってることだろうとは思う。
 ラベンさんはヒスイ地方における、私が唯一知人と呼べる相手だ。気づけばかなりの間会いに行っていない。彼のことが気にはなっていたのだ。
 男はきゅっと口端を横に引く。形は笑っているのに、私はその彼の顔を見れずに下を向く。

「ラベン博士のお話、もちろんさんにお伝えしますよ。ですが……。ジブンとしては、そろそろここを出ないと通り雨に降られそうで、どうにも落ち着かないといいますか」

 彼は肩をすくめて空を見るよう促してくる。確かに、薄暗く分厚い雲や山の向こうからこちらへ滑ってきている。じきに雨が降るだろう。

 私は彼にも聞こえるようにため息をついた。遠回しな言い方で、さも仕方がないかのような顔をし、自分の要求を通す。彼のそのやり方に辟易したからだ。
 けれど、やはり世話になった友人の近況は喉から手が出る欲しいものである。

「……わかった。うちでお茶でも飲んでいけばいい。そのうち雨も上がるだろ」
「すみません、さん。お言葉に甘えます」

 もう一度隠さずため息を吐いてから、私は懐にしまっていた笛を吹いた。鉄製で中指と同じ長さの、一見すると折った小枝みたいな笛だ。息を吹き込むと、ぴいっと、糸のような高音が空気をふるわす。
 すぐに奇怪ななきごえがして、刃物を研ぐかのような羽音が近づいてくる。
 木陰からその子の姿が見えるなり、ウォロは歓声をあげた。

「これが! 遠方の地からあなたが連れてきたという、よろいどりポケモンですね!」
「エアームドっていうんだ。この子のおかげでここでの一人暮らしもどうにかなってるよ」
「なかなか強面ですが、興味深いです」

 コトブキムラではエアームドもなかなか気味悪がられたものだが、ウォロはエアームドが怖くないようであった。たしかに、ここらでは珍しいポケモンなので、私は軽く説明してやる。

「空を飛ぶポケモンの中では、かなり小柄な方に入る。だが頑丈さは折り紙付きだ。目も良い。ここらのポケモンにはそうそう負けないよ」
「なるほど! さんによく慣れてますね」
「そうじゃなきゃ連れ歩いて一緒に暮らしたりできないよからね。エアームド、信用ならん男がこれから家に上がるっていうんだ。傍にいておくれ」
「あはは、信用ならなとは酷いですよ、さん」

 笑顔でそう言い放って、ウォロは堂々ずかずかと、私の家へとあがりこんだのだった。






 敷居を跨いだ時は満面の笑顔だったウォロ。今、彼はその切長の眼を精一杯見開いている。
 そんなに驚くことだろうか。虚を突かれつつ目の前の膳にもう一皿乗っけてやれば、さらに彼の目が見開かれる。

「……これは? お茶請けというよりは、食事に見えますけど」
「確かにさっきはお茶でも、と言った。だがもう昼飯の時間だろ」

 なんだか、すみません。そう言う声色は、予想外に素朴だ。彼なら申し訳ないと言いつつ、貰えるものは遠慮なくと口をつけるものだと思っていた。そんなしおらしい反応は、拍子抜けだった。

 恐縮して見せるウォロだが、私は大したものは出してない。
 イモの混じった薄い雑炊に、漬けた根菜。味濃く煮た茎に、刻んだ若芽を和えたもの。そんな質素なものなのに、ウォロは興味深げに視線を走らせている。

「この漬物って、もしかしてこっちの瓶に入ってるものですか?」
「ああ」
さんの手作り?」
「他に誰か恵んでくれる人間がこの辺りにいるか?」
「いませんが……」
「噂、聞いてるんだろ」
「……なんの噂でしょう?」

 こちらからわざわざ言わせて、自分からは口を滑らせないつもりなのだろう。やはりウォロは食えない男である。
 無駄な駆け引きに時間を費やしたくなく、私は開き直って喋り出す。

「てっきり、私の悪食についても耳に挟んでいるものと思ったが」
さん、悪食なんですか?」
「私の研究はポケモンもそうだが、元の出は植物学なんだ。今はヒスイ地方のポケモンと植物、相互作用の研究だから、分類は植物生態学になるだろうね」
「はあ」
「つまり……。周りの草木をあれこれ調理してる、これも研究の一環なんだ。研究を兼ねてあれこれ煮たり漬けたり食べたりしたんだが、ムラの人からすると何でも口に入れるから気味が悪かったようだな」

 ウォロは今日一番、楽しげに笑った。

「つまりジブンも実験体にされているってわけですね!」
「別に。あんたの前で私だけが食べるわけに行かないから渋々出してるんだ」
「それはそれは」

 ピーピーグサの茎茶を彼の湯呑みに注いでやったところで、やがて雨が降りはじめた。
 次第に大降りとなった雨粒が屋根を叩く。
 冷え出す空気の中、湯気を立てる薄い雑炊を啜りながら私は、ウォロの話を聞いた。ラベンさんの近況、それから最近のコトブキムラやギンガ団の様子について。

 雨が上がると、日が暮れる前にとウォロは発っていった。雨濡れの道向こうに、ウォロが消えていく。胸中でもう二度と来なくていいと呟きながら私はそれを見送った。