やがて彼の訪問は増えた。
 訪れるたびにウォロは私が暮らす家の中へ好奇心という名の視線を当てる。

さん! これはなんですか?』

 その一言と共に私に眩しさを覚えるほどの眼差しを当てつけ、棚にしまってあるものを振る舞わせる。棚のものや床下の瓶詰めなんかも、片っ端から出せ出せと言われるので、彼が来るたびに家は荒れて散らかった。
 だから私は度々思った。ウォロは季節に何度かある、強い北風のようだと。

 彼を実験体に出来合いのものをあれこれ食べさせてその、感想を聞く。その席で、ウォロの土産話を聞く。
 ヒスイ地方での伝承。彼が見聞きしたポケモンの話、ヒトの話。コトブキムラの、今。湿地に住む絆深い一族や、雪も凍えるような山の麓に身を寄せ合っている部族の話も。
 それから、神話だ。ウォロは神話には格別の興味があるのかかなり詳しいようだった。ウォロが自分からよく知り得ていると言ったことはなかったが、見ていれば、聞いていればわかった。神話の話に差し掛かった時だけ彼は一層深い声で語るのだ。
 神話こそ、興味深い題材であるのに。思わず書き留める手を止めてしまうほどウォロの語りは私を深遠なる世界へと引き込んだ。

 彼は私の家を良い休憩所だと思っているようだった。確かに、何もない地を行き来する彼にとっては、身も休められる都合のいい場所なのだろう。
 ある日のことだった。

『そういえば、あの蜜漬けにしたスナハマダイコンっていつ食べられるんですか?』

 まあ明日には。
 そう、ウォロの問いに何気なく答えた夜だった。ウォロはついに、うちを良い宿のように扱い出した。泊まるようになったのだ。夜になっても本気で蹴り出されないと見るなり、囲炉裏の横で堂々と座布団を寝具がわりにして、寝入ったのだ。
 帰りを促しつつも彼を蹴り出さなかったのは、その夜がちらちらと雪が舞う夜だったせいだ。旅ばかりで疲れているであろう彼を雪舞う深夜に追い出すのはさすがに忍びなかった。横にしっかりエアームドを呼び寄せてから、私はウォロと同じ屋根の下で眠った。

 朝は私の方が早く目覚めた。深く寝入っているウォロは、相当疲れを溜め込んでいたようだった。
 寝顔をそっと見ると、普段より険しい目元をしていて思わず笑いが噴き出た。

「寝顔なんて誰でももう少し間抜けで、可愛いもんじゃないのか?」

 誰に言うでも見せるでもなく出た独り言と笑顔だった。エアームドだけが朝の日差しの中で、ひとりでに笑う可笑しな私へと瞬きをしていた。





 ウォロに泊まりを許してしまったことが、私の中の壁をひとつ崩したのだろう。私はどんどんウォロに対して遠慮なしになっていった。
 家に来たら食事を出す代わりに薪割りや草刈りを言いつけるようになった。火の番や雨戸の修理をさせたりもした。ついにはいくらかお金を渡して、次来る時にはあれやこれを買ってきてほしいなどと、ウォロに頼むようにもなっていった。
 私に人の良い顔をしていたいのであろうウォロは、全てを「はいはい」と言いながら請け負ってくれるのだった。

 今日も家に、音がひとつ多い。私以外の者が立てる音だ。
 薪割りを終えたウォロが額の汗を拭う。深く息を吐いて、遠くの天冠山に意識を吸い込まれている。そんなウォロは、男だ女だという割り振りに囚われない美しさがあった。

「ん? さん、どうしたんですか?」
「お前はこういう雑事は嫌がると思ったから、しみじみ意外だなと思って」

 自分で言っておきながらなんだが、私の頼み事をすんなり了承するウォロが、毎度意外でならない。
 のらりくらりかわされると思って口にしたことを、ウォロがひょいと叶えてくれるたびに私は拍子抜けしてしまうのだ。

「嫌じゃないのか?」
「好きではないですね。でも必要でしょう。女性がここで一人暮らしなんて、まあ大変に決まってますからね。それに一宿一飯の恩がありますから。対価にこれくらいはしないと」
「ふうん……」

 こうやってウォロは時々、人のできたことを言って私の予想を裏切る。
 斧を置いた肘周りも、存外太く、しっかりしている。
 当たり前だ。行商のためにウォロは大きい荷物を背負ってあちこち赴いている。その旅に何匹かのポケモンをも同行させているのだから、彼は私とは比べようもない立派な、男なのである。
 なので私は少しずつウォロには良いものを食べさせてやるようになっていった。
 できれば、水ばかりので雑炊もやめた。芋や木の実などの混ぜ物はさせてもらうが、雑炊は控えてしっかりと米を炊くようになった。ウォロのためだった。自分は毎日米を食べていると逆に胃が疲れて参ってしまうこともあるが、ウォロの仕事や行先を思うと水っぽい雑炊は可哀想に思えたのだ。




 ウォロがいる日の夜は、夕餉も只事では済まない。彼の好奇心はしつこくて、面倒くさいのだ。
 空腹が落ち着くと、私は柱の影に寝かしておいた小さな壺を出す。私自身はこれを披露することにあまり気が進まないのだが、ウォロの期待の目に押されてしまったのだ。見た目は乾いた海藻のようなそれを箸でひとつまみして、彼の手に乗せてやる。
 同じ量を私が自分の口に投げ入れたのを見て、ウォロも真似して口へと入れた。

「なんだ、これ。すーっとする……」
「ああ、喉の通りが良くなる。私も好きでよく食べてる。息苦しい夜に少しかじると、寝つきも良くなるよ」
「これ、なんなんですか?」

 沈黙しているとウォロの笑みが楽しげに深まる。

さん、言わないってことは、ジブンに言いにくいものを使ってるんですね?」
「そういうことだ」
「教えてくださいよ、絶対口外しませんので」
「情報を出し渋ってるんじゃなくて、聞いてお前が吐かないか心配してるんだ」
「……善処します」

 少しひくついた口元に気分が良くなって、私はしれっと今食べさせたものの正体を言い放った。

「モンジャラというポケモンの、落とした蔓草が元だよ」
「もしかして、外の畑をよく歩いてる……」
「ああ、あいつだ。エアームドで何回か負かしてやったら、上下関係がよく分かったようで言うことを聞くようになったんだ。畑で自由にさせてたらあの体から蔓をくれるようになって、使ってみたんだ。案外いけるだろ」
「………」
「ほら茶に入れてもいけるんだ。飲んでみろ」
「………」

 気分を悪くしたわけではなかったようだ。なのでモンジャラの蔓草を混ぜた茶を悪戯気分で飲ませてやれば、ウォロは黙ってしまった。神妙に、今しがた口を付けていた湯呑みを見つめている。

さん。これ、売りませんか?」
「売らない」
「もったいないです」
「ポケモンの一部なんて食べたいやつがいるか」
「確かに下手物(げてもの)の類です。でも、ちゃんと効果がある。これが買い求める人は必ずいますよ」
「あんまり信用性の低いものを流したら損をするのはイチョウ商会だろ」

 一度あしらったくらいでは諦めない。いっそう商人の笑顔を深くして、ウォロは身を乗り出して言う。

「ジブンじゃなく、怪しい薬売りにでも卸しますので。出どころがわからないものを売り捌く専門がいるんですよ」
「やっぱり商人って抜け目がないと言うか、悪いやつらなんだな……」
「偏見は良くないですよ、さん。それで、いくらで譲っていただけます?」
「売らないって言ってるだろ。この話は終わりだ」

 強引に話を切り上げ、蔦入りの壺をしまい込む。
 それでもウォロは綺麗すぎる顔で微笑んでいる。一体この男は何を望んでいるのか。今夜のやりとりで私の家で新たな商材を探していることはわかったが、それだけで終わらないような気もする。
 もはや一直線に、言ってくれたらいいのにと思う。何が欲しいのか、何を探してまた旅立っていくのか。教えてくれたら少しくらい助けてやれるのに、とそう思う。









さん、なんですか、これ……」

 ウォロのそんな声が来て、私はまたか、と思った。ウォロがまた何か私の家を勝手に荒らしている。そう決めつけて顔を上げれば、ウォロが手に取っているのは家の陰で干していた私の着物だった。
 いつもある好奇心はウォロからは伺えない。彼は着物の花の柄へ、神妙に目を落としている。

「見ればわかるだろ、着物だよ」
「ええ、わかります。だけど、どうして干しているんでしょうか」
「それは……」
「随分綺麗な着物だ。誰か会いにいく人が、さんにいるんですかね。それとも誰かがここに来る?」
「来るわけないだろ、こんなボロ屋に来るのはお前くらいだよ」

 ならばどうして。そう言いたげなウォロの目はじとっと私の返事を待っている。

「近々、コトブキムラに行こうと思ってるんだ。出さなきゃいけない手紙が溜まってるんだ」
「それと、ラベン博士に会いに?」

 急な切り返しに、私は閉口してしまった。そう言えば、この男は元々ラベンさんあたりから私の噂を聞きつけてここまで来たのだった。どこか探るように、ウォロは続ける。

「手紙だけならジブンに預けてくれればいいのに。さんがわざわざ出向く理由はその辺かなと」
「確かに。それも、そうだな……」

 ウォロに言われて腑に落ちる。確かに手紙だけならば目の前のウォロに頼めば事足りる。
 ラベンさんがいるから、私もたまにはコトブキムラへ赴こうという気分になっているのだ。

さん」
「ん?」
「コトブキムラへ行くのが、楽しみですか?」
「そうでもないよ。苦労も多いし、正直下準備だけで疲れたよ。だけど、嫌な事ばかりじゃないからね」

 ラベンさんは、私にとってヒスイ地方での唯一の友人だ。急に押しかけて迷惑をかけるかもしれないが、彼と語らい、見聞を広める時間は楽しいことだろう。お互いの研究報告だってしたい。
 あまり人と話すのは好きではない私だが、ラベンさん相手なら随分楽に話せるのだ。

「まあどちらかと言うと、楽しみかもしれないね」

 来る日を思うと、私の胸は幾重にも膨らんだ。

 晴天を待って、久しぶりのコトブキムラへと私は繰り出した。幾日ぶりか、見当もつかないくらい久しぶりだ。
 髪をまとめて、顔色のために多少の化粧をした。しっかりと重たい帯を締めると、私は準備の段階で辟易してしまった。人に会うというのは兎角面倒が多い。
 嫌になりながらも最低限の身だしなみを整えたのは、功績に雲泥の差があるのにも関わらず、私を茶飲み友達だと言ってくれるラベンさんに会うためだ。
 それに内地に出したい手紙や荷物もある。全て、研究に関することだ。これを出さないとしばらく収入も無くなるぞ。そう己を叱咤して、私は人の賑わうコトブキムラの門を目指したのだった。

 コトブキムラが見えてきた近くで、私はエアームドから降りる。

「エアームド、お前はここで待ってておくれ。お前は、というかポケモンは、少し誤解を受けやすいからね」

 ポケモンであることに加え、ヒスイの地では生息していないエアームドは、見た目だけでも怖がらせてしまうことがある。だからコトブキムラの人々に会わせたくないのだ。
 きのみをいくつか与えてから、手を放してやった。

「笛の音が聞こえたら、ちゃんと私を迎えにきておくれよ」

 そう言い聞かせて、エアームドはポケモン側へ、私は言うなれば人側であるコトブキムラへと歩を進めた。

 しばらくぶりのコトブキムラはいっそう賑わいを増していた。ギンガ団員の数も増え、ムラのあちこちで見掛けられる。以前は工事の途中だった長屋も、綺麗に増築を終えた様子であった。
 門をくぐり一番にギンガ団を訪れた。が、生憎とラベンさんは不在だった。そこらのギンガ団員に聞けば、ここ最近はベースキャンプにもよく赴いているのだと言う。

「ラベンさんのお帰りはいつ頃か、わかるだろうか」
「いえ、ポケモンの調査が終わり次第だと思うので何とも。日が暮れるまでには帰ると思いますが」
「そうですか……」

 夜になってしまっては私の帰途が危うい。彼を夕暮れまで待つことは
 手紙だけ託し、私はあえなくギンガ団を後にしたのだった。

 残念だ。久しぶりにラベンさんと語り合い、近況をその口から聞きたかったのに。ラベンさんの恥にならないよう、せっかく見た目にも気を使ったと言うのに。
 ため息をつきながら、ギンガ団本部から出る。私はそのすぐ横で、見慣れた装束の男たちに気がついた。
 イチョウ商会である。大きな荷車を背にして、若いのと老齢の男が二人で商いをしている。

 ウォロと同じ装束を身に纏っているのに、ウォロの方が断然胡散臭く思えるのはなぜなんだろうな。お前はやっぱり不思議だよ。
 不意に彼を思い出して、気づけば私は彼らに声をかけていた。

「すまない、そちらにウォロという商人がいるだろう? 彼に伝言は頼めるだろうか」

 内容はモンジャラの蔓草についてだ。あの夜は本当に売る気が無かったのだが、後日同じような壺がいくつも見つかってしまった。モンジャラが落としているのを見かけるたびに拾っていたのが気づけば相当貯まっていたようだ。
 一人では使いきれない量が出てきてしまった。適切に扱ってもらえることが前提だが、家を肥やしているもので身銭が増えるのであればありがたい。
 そう考えていることを簡単にウォロに耳に入れておこうと思ったのだ。

 同じ商会に属する者同士だ。だから当然ウォロを知ってると思ったけれど、商会の人たちの顔つきは違和感のあるものだった。

「すまないね。ウォロは確かにうちの人間だ。けど同じ商会だからってどこにいるか逐一知っているわけではないんだ」

 私が息を呑んでいると、隣に立つ若い男も、すみません、と小さく頭を下げる。

「ま、あいつを見かけたらよろしく言っておくよ」
「ああ……、頼む」

 老齢の方の商人はあまりウォロへの感情を表情に出さなかった。けれど若い男の顔色で分かった。ウォロという名を出した瞬間に、面倒事を思い出したかのように微かに眉を歪ませたのだ。
 ふらふらとイチョウ商会から距離をとり、息をつけたのはコトブキムラの門をくぐった後だった。

 ウォロは私よりずっと口が、言葉の扱いが上手い。人の様子を見たり、口八丁手八丁で欲しいものを引き寄せ、手にすることができる男だ。笑顔の浮かべ方だって、女の私より随分綺麗にできる。
 だけどそんなウォロもまた、大きな集団に属しているようで、はぐれものなのだと。あのイチョウ商会の彼らが浮かべた表情はそう物語っていた。

 すぐ横に大きな雷が落ちたような、そんな心地だった。目の奥が、じんと痺れている。
 だけど次第に湧いてきたのは安堵だった。同情の類ではなかった。私はウォロに、仲間意識のような物を、浅はかにも抱いたのだ。