ろくどめに気づいても


 わたし、本当は、ポケモンと話せるの。話すとき、唇を使ったりなんかしないから、知らなかったかもしれないけど、やせいのポケモンともおしゃべりしてる。それにとあるポケモンとはね、いつも話しているの。ずっとつながっているの。「わたし、本当は、ポケモンと話せるの」というこの言葉も、あなたに直接、伝えることもできるんだよ。ねえ、伝えてみようか。

 ……そう心の中で何度か思ってきたけれど、わたしが実際に力についてだれかに教えることはない。ただ、平和なこのハナダの人たちと、同じようにふるまうだけ。

 出来るようになった不思議な力のことを、他の人には決して教えない。それはミュウツーとの約束だった。
 言われなくとも、わたしはこの力のことをミュウツーとだけの秘密にしたと思う。お父さんやお母さんがなんて言うか、だいたいの反応は分かっていた。
 お父さんお母さんにとって、ふたりの考えと違うものは全部が悪者だ。娘の将来のためにならない悪いことなのだ。だからこの力が良いか悪いか、便利か不便かも関係ない。二人の思い描いていた予定と違う、考えていたのと違ってしまったら、もうだめだ。
 もし知られてしまったら、ふたりはどんなに怒って、わたしはどれだけ叱られて、お仕置きに何をどれだけ制限されるんだろう。そう思うと、秘密を打ち明けることなんてできなかった。

 ポケモンと心を通わせるようになるまではスキップしたみたいに速かったのに、人間の考えていることがはっきりとわかるようになるレベルにはなかなかたどり着けなかった。
 疲れた様子のお母さんを見るとその原因を知りたくて―原因を知れば、わたしにもできることがあるかもしれないと思って―のぞこうとするのだけど、上手にできたことがない。
 人間の思うことを覗こうとすると、その中身はどろどろで、複雑で。複雑なことだけが分かるだけで、そこから先に進めない。ただ難しいだけなら良かったのに、そのどろどろは暗くてずっと見ていると飲み込まれてしまいそうに深い色をしていて、いつも恐ろしさに負けて目を反らしてしまう。
 その内に、わたしは思うようになった。人間の心の中は知りたくない。見ると疲れてしまう。いずれ見えてしまうのかもしれないけれど、できることなら知らないままがいい。

 お母さんとお父さんが最近よそよそしくなったのは気づいていた。リビングのひそひそ声。夜でも無い、家の中。なのに低く沈められた声で、ふたりは秘密の会話をしている。

「………なのよ。だから……、……!」
「しかし……」
「このままじゃだめ。このままだとが……」
「わたしがどうしたの?」

 自分の名前が出てきて、思わずわたしは声を出してしまった。

「何でもないのよ、大人の話」

 お母さんだけが笑顔を取り繕う。お父さんはすぐ新聞に向き直ってしまった。よく見ようとしなくても、お父さんとお母さんがさっと心を閉ざしたのが分かった。
 今日の勉強が終わったこと、だけど少し疲れたからお部屋で本を読むことをふたりに告げてから、なんでもないふりでわたしは自分のお部屋に逃げ込んだ。

 ふたりして、隠し事をしている。わたしに知られたくないことをふたりで半分ずつ持っている。前までは両親の心の中を覗きたいと思っていた。ふたりの望みを知れば、わたしはもっと愛される子供になれるんじゃないかと思っていたからだ。
 けれど今はふたりが本当に考えていることを知るのが怖くて怖くてたまらない。
 何をかくしているんだろう。笑顔の裏でわたしをどんな風に思っているんだろう。言葉にしない本当の気持ちは?
 人間の考えることは良いことばかりじゃない。どろどろとしていて、複雑。お父さんとお母さんの心の中にそれがあるのだと知ってしまった。
 わたしは初めてミュウツーの力を分けてもらったことを後悔した。まっすぐにお父さんとお母さんを信じていられた頃のわたしの方が、もっとずっと、良い子だった。そう思うと目の前がうるんで、鼻の奥がつんとした。

 引き寄せたハンカチで涙を拭いていると、子供部屋の窓が静かに開いた。勝手に開いた窓から、外の風がゆるやかに流れ込む。ふわりと白いカーテンがはためく。その下を見ると、窓辺にお花が並んでいた。小さな、白いお花だ。近よってひとつ手にとると、またひとつ、またひとつと空からお花がふわふわと遊ぶように飛んできて、わたしの窓辺に整列した。

 窓の外にはだれもいない。それでもわたしをなぐさめるかのように、白いお花が、窓際に増えていく。
 ここにいない。けれどわたしを見ていてくれる存在。そんなのは他のだれでもない。ミュウツーがしていることだ。

 ミュウツーとはいつもつながっている。だからわたしが悲しくなればその気持ちがミュウツーにも伝わってしまう、流れ込んでしまうと分かっている。わたしの悲しさはミュウツーを悲しくさせている。なのに、心細くて不安な気持ちが止まってくれない。
 窓辺の小さなお花たちを見ても、どうしてもわたしは心を強くできなかった。






 窓の向こうの夕暮れに浮かぶ月は正しい円のかたちをしている。今夜は満月のようだった。
 いつもと同じ時間にお風呂に入って、いつもと同じ時間に頭をかわかす。歯をみがいて、決められた時間の間だけ、本を読む。気持ちがざわざわとしていて、眠気はいつもの時間に来てくれなかった。けれど、夜更かしは許されていない。いつもの時間にわたしはお父さんとお母さんにおやすみのあいさつをする。

「お父さん、お母さん。おやすみなさい」
「おやすみ」
「早く寝なさい」
「はい」

 ぎこちない動きでわたしはシーツに潜り込んで、むりやり目を閉じた。わたしはまだ悲しさをふりきることでできなくて、楽しいおしゃべりをすることは出来そうにない。なので、今夜、わたしはミュウツーに何も話しかけなかった。悲しい気持ちが流れ出さないように、ミュウツーに心配をかけないように、かたくかたく目を閉じて、まくらに顔をうずめた。

 けれどいくら目をつぶっても眠れない。ものすごく長い時間が過ぎた気がするけれど、夜がどれだけ過ぎたか分からなくて、疲れて来た時だった。
 ミュウツーの指は特別なかたちをしている。だから、頭にふれられるといつも、すぐに彼だと分かった。

「ミュウツー……」

 わたしの部屋で浮かんでいる彼の姿にびっくりした。ミュウツーがハナダのみさきから街まで出てくることはめったに無い。最近はわたしも自分の力を上手く隠せているのもあって、いつも心を通わせている相手だけれど、その姿を見たのは久しぶりだった。
 わたしが見るミュウツーはだいたい難しく顔をしかめているけれど、今日はなんだか不機嫌そうな怖い顔をして、ベッドのわたしを見下ろしていた。

『ミュウツー。この前はお花をありがとう。とってもきれいだった』

 ひとつひとつ運ばれてきたあのお花は全て大事に拾って、今はお水を張ったお皿に浮かべてある。ちらりと見ると水面に、今夜の満月が住みついていた。

『ミュウツー?』

 ミュウツーが何も言わないので、問いかける。何か言いたそうにしているのに、何も伝わってこない。
 いったい何を考えているんだろう。ミュウツーの心の中は分からないけれど、ふしぎとお父さんお母さんみたく怖くは無かった。同じ人間のお父さんたちより、ポケモンのミュウツーの方がそばにいて安心できるなんて、不思議な気持ちがした。だけどほっとして気持ちをゆるめると、また悲しみが止められなくなりそうで、わたしは唇をかみしめた。

 部屋の中にふわりと風が吹く。わたしはまばたきをした。手のひらから優しくひっぱられるような感覚。気づけばわたしの体は浮いていた。
 潜り込んでいたシーツから空中へするりとすり抜け、わたしの体はミュウツーのしっぽを追うような進路をとって、窓枠の中心をくぐって外に出る。
 すぐ目の前でミュウツーがわたしを引き寄せるように飛んで、その瞳はわたしを見下ろしていて、どきどきがわき上がって来た。
 ミュウツーの力で空を飛ばされたことは何度かあった。けれど、こうやってミュウツーのそばで、一緒に飛んだのは初めてだ。それに、今夜わたしを包む力はなんて優しいのだろう。まるでわたしの体重がなくなってしまったみたいで、やわらかい風に乗っているみたいだった。
 ちらりと見下ろすと、おうちがどんどん小さくなっていく。おうちを抜け出してしまった。お父さんお母さんに内緒で、ミュウツーと。思わずどきどきがこれ以上大きくならないように胸を抑えた。ミュウツーはぐんとスピードをあげて、わたしもミュウツーと同じスピードで星空の中へ飛び込んでいく。

「わぁ……!」

 木の高さをあっという間に越えて、山の高さと並んだところで、思わずのどの奥から声が出た。満月が、とても近い。わたしたちは月に向かって飛んでいっている。そんな風に思えた。

 月に手をのばす。まだまだ手は届かないけれど、いつもよりずっと近い。
 わたしの前を飛ぶミュウツーがこちらを振り返る。灰と紫の体に、黄色の冷たい光が反射していて、なんてきれいなのだろうと思った。ずっと見ていたいくらいきれいだったのに、ミュウツーはわたしを一瞥すると、進む方向を変えた。

 どこへ行くのかなんて分からない。だからわたしはずっと、目の前でわたしを連れていってくれるミュウツーだけを見ていた。