ここのつになっても


 お母さんに連れてきてもらった病院は、ハナダの町から少し離れていて、わたしがいつも連れて行かれる病院とはたくさんの違いがあった。
 待合室も私が知っている場所とは違っている。風邪をひいたり、ケガをしていたりするひとがひとりもいない。受付のお姉さんが顔を伏せた寂しい待合室で迎えてくれたのは、ヒゲの生えたおじいさん先生だった。
「待っていたよ」と、そのお医者さまは言った。

、行くわよ」

 お母さんに背を押され、わたしはそのお医者さまについていく。
 通された部屋は、ピッピにんぎょうなんかが置いてあるかわいい雰囲気の部屋だった。先生が座ったそばの机では大きなモニターが置かれ、たくさんの細かな字で書かれた紙が広がっている。不安で、目を迷わせると、すぐそばの窓であたたかいイエローのカーテンがなびいていて、わたしは少し心が和らいだ。

 お医者さまは簡単にわたしの体温、心臓の音などをチェックすると、次々に質問をあびせて、またわたしを細かく目で観察しているようだった。わたしは目をそらして、じっとその観察をがまんした。
 お医者さまの心を見ようとしなかったのは、単純に、お医者さまの目が怖かったからだ。白くにごっている、優しさも冷たさもない目。
 にごった目のお医者さんの検査が、ただ何もないまま終わってほしかった。わたしは心を閉ざして、おとなしく先生の言うままになった。
 全部が終わって、お医者さまはこう言った。

「それではさん、落ち着いて聞いてくださいね」
「はい」
「この病院は、簡単に言うと心のための病院です」

 わたしの体は特に悪くないことを考えれば、あたりまえの答えだった。このお医者さんはわたしの心を検査して、治そうとしている。

「特にさんくらいの年から、十八歳くらいかな、それくらいの年の人たちがよく来るんです。さんのお母さんはね、さんのことをすごく心配されたようだね。それでこちらにいらっしゃった」
「………」
「お母さんに心配かけた理由は、心当たりあるかな」

 わたしはじっとうつむいて考えた。心当たりは、ある。けれど、どこまで気づかれているのかが分からなかった。

 この人は、お母さんは、わたしの力を知っているの? それはどこまで? いつから? それに、ミュウツーのことは、知っているの?
 気づかれていないところまで、自分から喋るわけにはいかない。どこまで喋っていいかわからないから、わたしは何も言い出せなかった。

「落ち着きなさい。君のご家族は君を責めてるわけじゃなくて、心配されているだけだから。……君はちょっと変わった力が使えるらしいね」

 お医者さまはごく優しく言った。落ち着くようにと、何度も前置きをした。だけど、ぴたりと力のことを言い当てられたとき、ぞっとした。すべての毛が逆立った感じがした。
 大丈夫と何度も自分の中で唱えた。まだ、力のことしか知らない。

「先生。力って、なんのことですか?」

 下手に話しちゃいけない。特にミュウツーのことは、最後の最後まで秘密だ。

「ふうむ。この病院はね、他よりはそういうこと専門に扱っている。だからきっとさんの力になれる」
「………」
「ふつうみんなは、あなたみたいな力は使わないし、使えない。だからこれから周りがあなたを誤解するかもしれない。そういうのが無いよう、お薬なんかも使ってさんを助けてあげられる」

 お医者さまはわたしのためになるからと、とくとくとしゃべる。だけどわたしの心はもう、お医者さまを敵だとみなしていた。
 悪い人じゃないと思う。けれど、敵だ。わたしの中にあるミュウツーの力に触れようとしてくる敵。

「うーん……」

 かたく心に決めたわたしを見て、お医者さまは自前の灰色のひげをもしゃもしゃと触った。

さんは、そのちょっと変わった力をどうしたいかな? なくしたい? 安定させたい?」
「………」
「それとも強くしたい?」

 お医者さまが出した案は、どれも、わたしの思いとは違った。
 ミュウツーがくれたものをなくしたいなんて思わない。確かに最初は力の使い方が分からなくて怖い思いをしたけれど、ミュウツーが一緒にいてくれたから、そんな心配はいらなくなった。
 どれかひとつを選ぶなら強くしたいが当てはまるのだけど、それもミュウツーがやってくれた。何もしなくてもミュウツーと一緒にいれば力は強くなった。
 わたしにお医者さまはいらない。

「まぁこういう力って不安定で、唐突にできなくなったりするんだけどね」
「えっ」
「どうしたんだい?」

 できなくなったりする。それを聞いただけで首が、見えない力にしばられたみたいに苦しくなった。
 わたしの中にある力が消える。それはミュウツーとのつながりが消えてなくなってしまうことと同じだ。
 大事なミュウツーからの贈り物が、無くなってしまう。想像しただけで全身が傷つけられたみたいに痛くて、嫌だ、と叫びたくなった。

「……先生は、わたしが話したことをお母さんに言いますか?」
「ここではサイキッカーたちの研究もしている。私たちは、君のそういう力を興味深く思っていて、君がもし力を使えるのなら、喜んで歓迎するよ。けれど君はまだ子供だし、あのお母さんと一緒に暮らしていかなくちゃいけない。分かるよね?」
「……はい」
「治療は君にとって一番良いかたちにしたいと思っている。さんが、ご両親と折り合いつけるためにも。安心して欲しい、力のコントロールを身につけてポケモントレーナーとして活躍しているサイキッカーたちもいるのだから」

 お母さんと折り合いをつける。その言葉だけでわたしの心はぐったり重くなるようだった。その言葉がさしていることが、なんとなく分かるからだ。

「それでも、約束してほしいんです。お父さん、お母さんには言わないでください」
「……分かった、約束しよう」

 お父さんお母さんには言わない。それはわたしにとって大事で、絶対に必要な約束だった。

「先生、わたしの力は消えてしまうんですか……?」
「なんとも言えない。人それぞれだから。でもね、やっぱり消えてしまう傾向などは明らかになってきているし、様々な超能力者たちの記録はこの病院にある。教えてあげてもいい」

 わたしは、正直に言えば、知りたいと思った。
 力は全て、与えられるがまま。わたしはミュウツーを通してでしか知ることができなかった。ミュウツーは生まれ持った、当たり前に使う力だけれど、わたしにとってはもらったものでしかない。力のことはずっとどんな言葉で捉えたらいいか分からないままだ。もらったものを大事にする方法を、わたしは知らないままなのだ。

「先生、わたし消したくない」

 わたしの持っている力は、こうやって病院にこなければいけない、悪いものかもしれない。けれど、大事なものなのだ。
 わたしの中にある、ミュウツーの一部はどうしてもなくしたくないものだった。

「お願いします。力を消したり、わたしを治したりしないでください……」

 わたしが少し変わった力を使えると、誰か人間に、言葉にして言ってしまったのは初めてだった。その初めてのことですごく緊張してしまい、しゃべり終わるとわたしはぐったり疲れてしまった。
 先生はそんなわたしに、今日はもう終わりにするからゆっくり休みなさい。今日からしばらくこの病院に泊まることになるからと言った。

 この病院で働くラッキーに案内されて、ベッドと小さな机のある部屋に通されると、そこにわたしの洋服の詰まったバッグがおいてあった。きっとお母さんが持ってきたバッグだ。
 すっかり準備のされていた中身を見て、わたしは最初から、ここに入れられるつもりで連れてこられたんだと知った。