「あ」
「ん?」
トウカでは意外な人と、ばったり再会をした。夕暮れの空の下、トウカジムに鍵をかけるしゃんとまっすぐな背中。トウカジムのジムリーダー、センリさんだ。
「もしかして、ちゃんか?」
「こんばんは、センリさん。ご無沙汰しています」
「やあ、本当に久しぶりだな。すっかりたくましくなった気がするよ」
「センリさん……。たくましい、って女の子に言いますか?」
「あ、いや、違うんだ。たくましいというのは外見じゃなくて中身の、そう、雰囲気にたくましさが!」
センリさんは焦って言葉を紡ぐ。けれど、たくましい雰囲気をかもしだす女の子だなんて、全然フォローになっていない。
「いいですよ。なんとなく分かってましたから……」
「す、すまない」
「本当に大丈夫です」
むしろ、女の子の扱いが器用すぎないところがセンリさんらしくて安心すら覚えてしまう。
そういえばジョウトから呼び寄せた娘さんとは上手にやれているのだろうか。
センリさんは絶対に悪い父親ではないと。けれど、単純な優しさだけで子供を愛するような父親とも違うと思うので、そういうところが少し心配だ。
娘さんに「たくましくなった」は禁句だと思うので、センリさんがうっかり言っていないことを願う。
ごほんと、ひとつ咳をしてから、表情を立て直したセンリさんは腰のボールを取って茜空に投げる。
「乗りなさい」
「え……」
そういったセンリさんが出したのは、ノーマルタイプとひこうタイプを合わせ持ったあのポケモンだ。
「良いんですか?」
「ミシロに帰るんだろう? それともどこか寄りたいところがあるのか?」
「いえ。無いです。でも……」
「遠慮するな」
確かに帰り道は一緒。断る理由は無い。けれどわたしは戸惑いながらセンリさんのポケモンに近寄る。先にまたがったセンリさんの後ろにつくよう、わたしもまたがるけれど動きがぎこちなくなってしまう。
小さかった頃はもっと、素直にセンリさんに甘えられたんだけどな。近所の、ポケモンバトルがすごく強い人として。憧れの人として。
子供の頃のわたしがセンリさんに懐いていたのも、一重にセンリさんの人柄があってのことだ。滅多に笑わないけれど、人にもポケモンにも優しい大人だと、子供心に気づいていたわたしはこの人を尊敬していた。
その尊敬をそっと心の底に仕舞うようになったのは、この人が本当に愛する人たちを知ってしまったからだ。
「おじさんの背中で悪いがしっかりつかまっていてくれ」
「おじさんだなんて思いませんよ。むしろお父さんの背中だなぁって」
「そうか?」
「はい。センリさんはわたしのお父さんじゃないけど、お父さんみたい」
でもあの道場みたいなジムで、エリートトレーナーたちをまとめあげるセンリさんは、みんなの父親になれそうな雰囲気をまとっている。
広くて大きくて堅い背中。思い切ってしっかりつかまると、ポケモンが羽ばたきを始める。すぐに茜差す高さまで上昇すると、滑空を始めた。
真っ赤な空の中を飛ぶ。赤い光の中で影を負う背中を見ると、やっぱり懐かしさと切なさが同時に襲ってくる。
「……私がミシロに単身赴任して、一人で暮らしていた時、よく遊びに来てくれただろう」
深く静かな声で、センリさんは語り出す。わたしも目の前に迫る夜のように低い声で「はい」と相づちを打った。
「あんまり女の子の扱いが上手な方ではないし、私自身は怖がらせることもある顔つきだから、妙に懐かれて驚いたよ。一人でジョウトからホウエンに来た私に一番優しくしてくれたのは他でもない、ちゃんだよ。
ポケモンのことでたくさん質問をしてくれたあの頃から、ずっとちゃんを娘のように思っていた。同時に君と話していると娘を思い出したな」
「……娘みたいに思われてたことは嬉しいです。でも、本当の娘さんにちょっと申し訳ない、かな」
わたしはわたしなりにセンリさんが好きだった。だから、本当の家族に勝てないと知ってしまった時、この人に抱く憧れの量を減らすことに決めた。
そうすればいつかセンリさんの本当の家族に出会ったときも傷つかないで済むと思ったのだ。
「それは私も思っていたよ」
「センリさんも?」
「ああ。君には本当の父親がいるのに、君をどこかで娘の代わりにして、可愛く思っていたんだ。今だから言える話だが、内心お叱りを受けないかと心配していた」
わたしはそっとセンリさんの背中から顔を遠ざけた。この夕陽の世界、赤い顔はばれないだろうけれど、顔中に回った熱だけは気づかれてしまいそうだったから。
センリさんの言う通り、今だからこそ言える。あの頃のわたしとセンリさんはお互いに足りないものを補い合っていたのだ。わたしはセンリさんから、目標とポケモンの知識を貰い、それに子供として大人に守って貰った。その分、センリさんはわたしに、擬似的なものだとしても離れざるを得なかった家族の一部分を得ていたのかもしれない。
「君の母親に、早く会わせてあげたいな」
「……たくましくなったわたしを?」
「そんなじゃない。言ってしまえば成長なんてしてなくたって良いんだ。ただ元気な姿を、見せてやりたいよ」
背中から少し視線を上げると、まっすぐと前を見るセンリさんの顔がある。久しぶりに見たその顔は変わらず強いまなざしだけれど、どこか柔らかい。
トレーナーになった娘さんが今どうしているのかをわたしは知らない。けれどその柔らかさも宿る顔を見れば分かる。
帰ったら、家には家族がいる。待っている人がいる。センリさんはもう、一人じゃない。
大丈夫。わたしは心の中でそう、つぶやく。
ここに痛みはない。嫉妬心なんてない。ちゃんと思える。この人が今、寂しくなくて良かった。あなたが幸せで、良かった。
ミシロまで、あともう少し。熱い血潮の巡る背中に身を寄せて、心の奥深くまで刺さる朱色を見つめていると、自分の体全体が、まどろんでいくのを感じる。
近づいているのだ。帰るべき、場所が。