ただいマルノーム、16



 わたしは今、オダマキ研究所でお茶とお菓子で遅い朝食を食べている。横ではオダマキ博士が大きな背中を丸め、わたしがカロス地方で至急されたポケモン図鑑をいじくり回している。

 ポケモンの生態のことならわたしよりよっぽど詳しいはずのオダマキ博士なのに、図鑑を触る全身が妙に楽しそうだ。


「そんなに珍しいですか?」
「珍しさもあるけれど、これにはちゃんの旅の記録が詰まってるからね! 君の世界がたくさん広がったのがよく分かるよ! この図鑑、誰からもらったんだい」
「プラターヌ博士です」
「ああ、ミアレシティのあの! ずいぶん若い博士じゃなかったかい?」
「若い、かなぁ?」


 プラターヌ博士については、若いというよりは若く見えるという表現が正しいと思う。
 案外オダマキ博士と同年代だったりして……。これをそのまま言うとオダマキ博士がショックを受けかねないのでそっと胸の中に仕舞う。


「他の地方の博士とも、ずいぶん会ったみたいだね。時々ちゃんのことで報告をもらうんだ」
「えっそうなんですか!」
「ホウエンから来たトレーナーに図鑑を渡したってね。他の地方でも図鑑埋めを積極的にやってたみたいだね。ウツギ博士は覚えているかい?」
「もちろん!」
「あの人は一番よく報告をくれたよ。そういやナナカマド博士も。君のことを褒めていた」


 あの強面のナナカマド博士が、裏ではわたしを褒めていたなんて。ちょっと信じられない。


「思い返すとほんと、いろんな有名な博士に会ってるなぁ」
「うん、うん。それだけでもトレーナーとしては珍しい経験が詰めたんじゃないかな」
「いろんな博士に会ってきましたけどわたし、なんだかんだオダマキ博士のこと好きですよ」


 研究者としてだけじゃなく、わたしを送り出した人として、わたしの旅をのぞき込むようにして図鑑を見てくれた。それが嬉しかった。


「て、照れるなぁ」
「一番貫禄がないですけどね」
「はは。貫禄があったら敏感なやせいのポケモンが逃げちゃうからなぁ」


 ポチエナに嘗められてしまうくらいに貫禄がない、けれど誰よりもあったかい。それがわたしの町の博士だった。

 カロスで活躍した図鑑はオダマキ博士にしばらく預けることにした。わたしにはもうホウエンの図鑑がある。
 オダマキ博士は、研究所の出口まで送ってくれた。


「ユウキには会ったかな」
「会いましたよ。こっちに帰ってきて二番目に」
「他には誰に会った?」
「えーと、トウキさん、ユウキくん、ツツジ、センリさん……あとミツグってヤツにも会ったんだけど博士は知らないですよね」
「お友達かな?」
「はい」
「お母さんにはもう会ったんだよね」
「帰ってきたの、昨日ですから」
「それでか。今朝の君のお母さんが上機嫌で、本当に嬉しそうだった理由が分かったよ」
「母が、ですか?」
「喜んでたろ」
「そうでもないですよ。結構ふつうです」
ちゃん、もっとよく観察してごらんよ」


 そうは言われても、昨日も今日も、母親は特に変わった風に見えなかった。


ちゃんがいない時の君のお母さんの顔知らないから、わかりにくいかもしれないけど、あんなに嬉しそうな姿、久しぶりに見たよ。君が無事で帰ってきて良かったね」


 無邪気という言葉がぴったりな、オダマキ博士の笑顔が、ひりひりと焼き付いた。

 家に帰るとやっぱり湯呑み片手にテレビを見ている母親がいた。

“あんなに嬉しそうな姿、久しぶりに見たよ”。オダマキ博士の声が、頭の中を反響している。


「……、お母さん」
「んー?」
「せっかくだから、どこか一緒に行く? どこでも、良いけど。連れてくよ」
「本当? じゃあお母さん、ミナモデパートに行きたいんだけど送ってくれない?」
「……分かった。支度出来たら外に来て。わたし、ポケモンの、フライゴンの準備してるから」


 ここまで歩いて帰ってきたから、ずっとボールで眠らせていた。ようやくわたしの空飛ぶポケモン・フライゴンの出番である。







 久しぶりの出番に燃えるフライゴンに乗れば、あっと言う間に目的地にたどり着いた。お母さんはすでに、ミナモデパートに消えて行った。

 お母さんはすぐに買い物を終えるから、待っていて欲しいとのことなので、わたしたちは海を見ながら時間を潰している。


「フライゴンちゃんも強くなったわね、だってよ? 良かったね、褒められて。たまにわたし以外の人から褒められると嬉しさも違うよね」


 わたしのフライゴンはドラゴンタイプのポケモンと覚えないくらい表情豊かだ。
 褒められるとよく伸びるタイプのがんばりやさんである。


「ん?」


 わたしのお母さんに褒められただけではまだ足りないらしい。焦がれるような目で見られたので、頭を思いっきり撫でてあごをかいてやると、本当に嬉しそうな声を上げる。
 フライゴンのこういうところは、ドラゴンよりも妖精みたいである。


、お待たせ!」


 振り返ると、お母さんは買い物袋をひとつだけ下げて立っていた。


「もう終わったの?」
「そうよ。はい、これ」
「え?」


 お母さんはたった今、買ってきたばかりであろう包みをわたしの前に突き出した。


「わたしに?」
に」


 ミナモデパートの買い物が、わたしのためだったなんて思いもしなかった。混乱しつつも袋から取り出すと、わたしの肩幅より少し小さいくらいの四角い箱が入っている。箱の割に中身は軽い。


「何これ」
「開けてみて」
「う、うん……」


 開けてみて、箱の軽さに納得した。
 入っていたのは新品の、ランニングシューズだ。

 お母さんにプレゼントとして靴をもらうのは二度目だ。
 わたしは、はっと息を飲んだ。


「お母さん……。わたしが一番最初に旅立つ日も、お母さん、靴をくれたよね」
「そうね」
「ごめんね、あれ、シンオウ地方ではちゃんと履いてたんだけど、イッシュ地方で、穴が開いちゃって……」


 最初の一歩をともにしたランニングシューズ。あれは、もうわたしの足には無い。旅の途中で捨ててしまったのだ。わたしの足になじんでぼろぼろになって、時に靴ひもを取り替えて、それでも履き続けたけれど、さすがに今日までは保たなかった。
 大事なシューズ。役目を終えたとしても捨てるのは忍びなかった。荷物を増やせない旅の途中でなければ、捨てに済んだと今でも思う。


「穴が開くまで履いたの? 途中で足のサイズだって変わったでしょうに」
「気に入ってたからね。ありがとう。わたしの好きな色だし、嬉しい……」
「履いてみて」
「うん!」


 促されるまま、わたしは靴を履きかえる。走って旅をするためのランニングシューズ。

 お母さんの言うとおり、わたしはここ数年で足のサイズを変えた。だというのにサイズがぴったりだ。

 あまりにも不思議で、「なんで?」と率直に聞くと、お母さんは歯を見せて笑った。


「ヤミラミちゃんに測ってもらったのよ!」


 ああそういうことだったのか。
 今朝、わたしの足をくすぐっていったヤミラミの笑顔とお母さんの笑顔がぴったりと重なる。それがなんだか笑えて仕方なくて、わたしは笑いながら目にいっぱいの涙をためた。



---

ランニングシューズだって思い出!