どうしてこんなことになってるんだろう。私は熱くなった指先でグラスを握る。私は懐かしのおばあちゃんに挨拶をして、届け物が終わったらポケモンたちと無邪気に火山灰集めというひそやかな楽しみを満喫するつもりだった。
民家のおばあちゃんは元気だった。フエンタウンのご友人からと思われる届け物も無事に届けることができた。
だけど予想外すぎたのはそこにカゲツも同席していたことだ。そしてそのまま、居酒屋に拉致された。
「え、あそこってカゲツの実家だったりする? あの方ってお母さん……!?」
「まさか」
「だよねー。よかった」
「あそこの家つったら、もはや名物みたいなもんじゃねぇか」
「そうだったんだ……」
驚きつつも納得だ。それだけ印象深いおばあちゃんだ。そしてそれだけの深い印象を抱いたのは私だけではなかった、ということなのだろう。名物になるのも無理はない。
「じゃあカゲツも昔あそこで、お世話になって、それでたまに様子見に行ってあげてるの? ふーん? カゲツってば優しいんだぁ〜?」
見た目に似合わないことをしてるんだ、と急にニヤついてはしゃげば、呆れた目を向けられてしまった。
もちろん見た目に似合わないと思うだけで、カゲツが人格者なのは分かっているつもりだ。
「そういう人をからかうような言い方をするなよ」
「あ、否定しない」
さらにおちょくれば、無言でボトルの中身を注がれてしまう。
「ちょっと。あんまり飲まさないでよ」
「これくらいは飲めるだろ」
「私がどれだけ飲めるかなんてカゲツには分からないでしょ。ほとんど一緒に飲んだことないくせに」
「ああ。誰かさんがわかりやすく機嫌悪くするからな」
「え、別に機嫌が悪いわけじゃないんだけど……。ただあんまり飲みの席が得意じゃないっていうか」
「お前じゃないって」
「は? え? あれ?」
「そういうところほんと相変わらずだな」
「ええ?」
カゲツと全然話が噛み合わない。彼も私も、もう酔っ払っているのだろうか。
「とにかく! お酒は少しだけでいいの。宴会で騒いだ次の日、バトルで三連敗したことがあるから縁起が悪い気がしちゃって」
「バトルの予定があるのか?」
「約束とかはしてないけど……」
「じゃあたまには良いだろ」
またカゲツがボトルを手に取った。ボトルの口が私の方に向けられたのを見て、あわてて手でグラスのふたをする。ほんとこの人は、今日は私にまだまだ飲ませる気でいるらしい。
「カゲツ。正直に言って。何が目的?」
「には素直さが足りない」
「それは認める部分もあるけど。でも別にいいでしょ」
「きっかけを作ってやろうとしてるんだ」
苛立ったように言われるが、全く話が見えてこない。きっかけと言われても、私が何か怠っていることなんてあったっけ? 首を捻ってると、カゲツのイライラはましたようだった。
「だーかーらー、いじわるしてないで、そろそろダイゴに電話の一本でも入れてやれ」
「………」
脳の半分は「ああ、そのことか」と淡白に笑っていた。だけど私の体のほぼ全部は急に脈をあげて、息を詰めていた。
急激に血の巡りが良くなって、めまいがするほどだ。固まってしまった私の手をカゲツはそっと横にずらして、ボトルの中身をグラスに注ぎきった。
うっとりと光るグラスの中身。その横に、ポケナビを置かれる。
「俺のポケナビを貸してやる」
「………」
「かけろ」
かろうじて首を横に振る。
理屈とか理由なんてなかった。ただ、「いやだ」と思った。
ダイゴと私は話すことなんてない。
数年ぶりのホウエンを歩きまわれば、彼の影が幾度となくちらつく。だけど、それらはどれも私とダイゴの今の関係を教えてくれたりはしなかった。
会ってやれ、声をかけてやれと言われても、そもそも私とダイゴはどんな仲だったかすら分からない。なのに急に電話をかけてどうすると言うのだ。
しびれをきらしたのはカゲツの方だった。
私に貸すといったポケナビを引っ込めてしまったのだ。
諦めたのかと思いきや、荒々しく操作して誰かにコールをかけている。まさか。
「待っ……」
「もしもし、ダイゴか?」
不自然なタイミングで息を吸ってしまった。喉がひゅっと鳴った。
何を言っているのかわからないけれど、カゲツの表情からポケナビの中から声が返ってきているのは伝わってくる。繋がっている。カゲツの言う通りならば、ダイゴに。
「夜遅くに悪いな! ちょっと話してほしい奴がいるんだ。今変わる。……ほらよ」
ポケナビが、私に向けられる。さっきまでお酒を飲んでいたのに、喉が枯れたようにひきつる。
「早く。話せ」
「……、っ……」
ポケナビの向こう。この機械の向こうに、ダイゴが。脈をあげてポケナビを凝視してしまう。カゲツが焦れたようにまた私へとポケナビを押し付ける。
『もしもし?』
それは、何年ぶりかに聞いたダイゴの声だった。たった一言だけだけれど、彼だと分かった。完全に大人になった彼の白い喉、それから襟足として首にかかる彼の髪の色を思わず想像してしまった。
『誰だい?』
通話口から伝わってくるのは、声の出なくなってしまった私に不審感を抱いていて、そう、私と話したがってはいないそれだった。
それだけだ。ただ、もしもしと言っただけだ、通話の相手をなのだ。頭では分かっている。でも頭と心と体が全部ばらばらになって散らばって行くような心地になって、気づけば目の前のカゲツがギョッとした顔をしていた。
「……悪い、ダイゴ。切るぞ。ちょっと事情が変わってよ。すまない、いたずらとかそういうわけじゃないんだ、悪いことした。とりあえず今は一旦切らせてくれ」
コールを切ったカゲツが、大きな溜息を吐く。私を見る顔は罰が悪そうだ。そんな顔をさせてしまって、申し訳ないと思う。だけど、私は目から涙が溢れてくるのを止められなかった。
数年ぶりのダイゴとの接触。と言っても声を聞いただけだ、一言も交わしていない。接触という言葉が正しいかもわからない。けれど久しぶりに感じたダイゴの存在が私を泣かせていた。
「泣くほど嫌だったのかよ」
首を横に振った。嫌で泣いているわけじゃない。カゲツが知れば極限まで眉を釣り上げる、そんなひどい理由で泣いているのだ。