ただいマルノーム、36



本日もミシロタウンは晴天。わたしはオダマキ研究所のパソコンを借りて、絶賛調べ物中だ。研究所の窓は開け放してあって、やわらかい風が勝手に本のページをめくってくれる。そんな爽やかな一日のはずなのに、わたしは背中に、じっとりとした視線は感じていた。


「何、ユウキくん?」
「いや……」


ユウキくんは一度わたしから視線を逸らしたものの、何か言いたげなそれはすぐにまた戻される。はねのけるように、わたしのパソコンを扱う動作は高圧的だ。カチカチカチカチと鳴り止まないクリック音に、ユウキくんは声をかけられないでいる。だけど彼のお父さんは別だった。
オダマキ博士が、気づけば背後からわたしの調べ物を覗き込んでいた。


「アローラ地方かぁ」
「オダマキ博士」
「なかなか面白い地方だよね」


そう。わたしの調べ物とは、アローラ地方についてだ。最近トレーナーの間でも名が上がることの多いアローラ地方に、わたしのトレーナーとしての勘がささやいていた。南の島々から成るこのアローラ地方が、わたしを誘っている。


「気候・風土に合わせたポケモンの生態だったり、土地に眠る伝承だったり。ううん、フィールドワークのしがいがありそうだ」
「そうなんですよね。島ごとに精霊として祀られているポケモンもいるらしくて……とても独特だけど、調べれば調べるほど面白いです」


ああ、素敵だな、アローラ地方……。見たことのないポケモンを想像するだけでわくわくするし、検索すれば出てくる写真がどれも美しい。このホウエンとはまた違った、南国の鮮やかな色彩に溢れている。


「アローラ地方なら、ククイ博士が有名だ。研究者としてはポケモンのわざの研究が有名だけど、その他の活躍もおもしろい人物だよ。紹介しようか」
「えっ、いいんですか?」
「うん。行きたいんでしょ、アローラ地方に」


わたしは曖昧な笑顔で頷いた。新しい冒険の場所、アローラ地方に行きたい、とは思っている。リージョンフォームなる新しい姿のポケモンに出会える場所。アローラ地方にはポケモンリーグもなければ、ジムリーダーはいないとのことだけれど、島ごとにやはり名うてのポケモントレーナーはいるようだ。文化と風土とポケモンが複雑に入り混じった島々。興味がわかないわけがない。

ただ、もっと純粋な、わくわくした気持ちで出発を決めたかったものだ。
わたしが素直に頷けない理由に、またあの銀髪の男が顔を出してして、どうも楽しみが削がれていく。
もちろんわたしが勝手にやきもきしているだけなので、ダイゴは悪くない。だけど苛立ってしまうのも本当なのだ。

恋を自覚したこと。彼への感情の大きさを、この身で味わってしまったこと。それはわたしの様々なもののバランスを崩し、問題を引き起こしていた。
カロス地方への旅立ちは、こんなものじゃなかった。素直な、未知のものへの期待に溢れていたのに。今は自分の気持ちがわかっているぶん、痛感してしまう。トレーナー修行のためでもある。だけどダイゴから逃げるためにも、わたしは次の旅へ出るのだ。


「……何、ユウキくん」


今度振り返ったユウキくんは、もう言いたいことから口から飛び出そうな顔をしている。


「ちょっと休憩しながらしゃべろうか」


この場で言われるよりはと、わたしは研究所を一旦出て、自宅にユウキくんを招いた。近所すぎて”招く”というほどの距離でも無いけれど、研究所よりはまだ秘密の守られそうな場所だ。
わたしの家には誰もいない。冷蔵庫から冷やしてあったお茶を出してグラスに注いであげると、ユウキくんは「どうも……」と暗くお礼を言った。


、また旅に行くの……?」


予想通りの質問が飛んでくる。やっぱり、そう見えるよね。いろんな地方を旅してきたわたしが急にアローラ地方について調べ始めてたら、そう思われてしまうだろうし、オダマキ博士は直球にわたしに確認して来た。行きたいんでしょ、アローラ地方に、って。


「だってその方がいいでしょ。わたしはポケモントレーナーだもん」
「オレもトレーナーとしてのさんを否定するつもりはないよ。だけど、が何のために旅立つのか、オレにはわからない……」
「何があるかなんて、まだわからないよ。でもわかってる方がおかしいでしょ」
「………」
「どの地方だって、行けば必ずわたしの知らなかったものがあった。出会った全てが、わたしもポケモンも大きく成長させてくれた。だから、行っちゃえば、それでいいんだよ」


その経験には嘘がない。わたしは嘘を言っていない。なのにユウキくんは納得してくれない。


「オレが止める権利ないのはわかってる。だけど、どうしても納得いかないっていうか……。アローラ地方について調べてる時のさんの雰囲気が、なんかイヤだった」
「そんな漠然とイヤだとか言われても……。困るよ」


我ながら、意地悪な言い方をした。こう言えば少年のユウキくんはひるんで、見つけてしまったわたしに見ないふりをしてくれると、期待したのに。「だけど、」とユウキくんは言葉探しをやめなかった。


「これからカロス地方に行くって言ってたは、そんなじゃなかった。ああ、またこのひと遠いところに行くんだなぁって思わせられたけど、同じくらい”止められない”ってくらい輝いた目をしてた。それがにとっての幸せな生き方なんだと思えたから、オレも応援した。だけど今のは、オレは止めた方がいい気がする。いや、そうじゃなくて……。オレには止めて欲しいみたいにーー」


やっぱりこの子は頭いいんだろうな。そう思わせるように、ユウキくんは喋るごとに答えに近づいていく。まとまらない物事を必死に言葉にしていくうちに、それがどんどんわたしの本当の姿をとらえていく。


「やめて!」


そんな拒絶の言葉を発した時点で、わたしの負けだった。ユウキくんの勝ちだった。ユウキくんの方が、正しさを射抜いていた。

グラスが汗をかく。冷え冷えとした空気を破ったのは、不意に帰って来たお母さんだった。


、あらユウキくんまで」
「あ、どうも。お邪魔してます」
「お母さん……」
「ちょうどよかった。に行って欲しいところがあるのよ」