ただいマルノーム、38



小さかったキノココが眠るのは、それこそ小さなお墓だ。ほとんど綺麗になっているけれど、改めて簡単に回りをお掃除してから、きれいな水をたっぷりいれた花瓶に花を入れる。それからハンカチでもう一度、きのみをぴかぴかに磨き上げて、キノココへお供えした。


「とれたてできっと美味しいよ。食べてね。あ、でもポロックにしてもよかったね。なめらかで、食べやすいやつ」


キノココはポロックを食べたことがない。流行する前だったとかではなく、単純にわたしがポロックの存在を知らなかったからだ。知らなければ作れない。知らないからあげようと思いつくこともなかった。
ポロックはここにはない。けれど、わたしは思いついて、カバンの中からミアレガレットを取り出した。ミアレガレットはフヨウちゃんにもプレゼントしたので、これがわたしが持っている最後のひとつだ。
それからカバンの中を漁ると、いつぞやイッシュ地方でもらったハートスイーツも出てきた。


「キノココ、ありがとう。わたしはあなたのおかげでポケモントレーナーになって、いろんな地方に行ったよ」


ヤミラミとグラエナがわたしの周りに付き添ってくれているおかげか、ここに住むヨマワルやカゲボウズたちがいたずらしてくる気配はない。
わたしは安心して目を閉じて、その数分だけは、頭の中をキノココのことだけで満たした。もう会うことのできないキノココに、記憶の中で再会する。


「……、また来るね」


ふと出た自分のつぶやきに、自分で驚いた。また来る。そんな言い方は、やっぱり自分がまた旅立とうとしていること、それからいつかまた帰って来るみたいだ。

キノココのお墓を離れて、おくりびやまの外側へ出る。ホウエン地方の天気は今日も晴れだというのに、またもひんやりとした風が吹く。ここ周辺は不思議な天候の力が働いているようで、おくりびやまが晴れることはほとんどない。
ふとポケモンのなきごえがした方を振り返ると、草むらの中に一瞬、赤い尻尾が見えた。おそらくロコンの尻尾だ。おくりびやまの外壁にある草むらに、ひっそりとロコンたちが棲んでいることは、ここまで来たことのあるポケモントレーナーだけが知っている。ここの生態系はきちんと守られて、以前と変わっていないらしい。
それも当たり前か。ここを四天王のひとりが守っているのだから、並のトレーナーでは荒らすことなんてできやしない。

その四天王である彼女が、わたしを見つけて、また手を振ってくれている。


「ありがとう、ちゃん」


フヨウはなぜかそう言った。わたしがなぜ感謝されるのか、繋がらない言葉だけど、感謝するのはおそらくわたしの方だ。わたしが遠くにいる間、ここを守って来たのは彼女たちなのだ。







フヨウの祖父母のお家に招かれて、お邪魔したらお菓子とあたたかいお茶が出てきた。おくりびやまのひんやりとした風に冷えた体にあたたかいお茶が嬉しい。ありがたく口をつけた瞬間だった。


「ダイゴさんに会いに行けばいいのに!」


危ない、フヨウの唐突すぎる発言にお茶を吹くところだった。吹かなかった代わりに、熱々のお茶をそのまま喉に流し込んでしまい、その熱さに涙がじんわり滲んだ。


「あ、あのね、フヨウ」
「うん」
「まあ普通だったらわたしもダイゴには会いに行くかもしれないよ? でも会ってないってことは」
「二人がいろいろと普通じゃないことくらいあたしも分かってるよ!」
「じゃあ、あんまり言わないでくれると助かるなぁって……」


カゲツとダイゴのやりとりを、そこに流れた空気を見たのなら、フヨウには察してもらいたかった。そう簡単に終わってくれる話ではないのだ。


「そうじゃなくて! あたしが思うのは、ちゃんがリーグに来てくれたらいいなってことだよ!」
「リーグ……?」
「そう! ポケモンリーグ!」


ポケモンリーグ。そのワードが耳に届いた瞬間、わたしは喉の痛みを忘れてしまった。自分でも不思議だ。急に頭の中が冴えて、切り替わる。脳みそが四天王とチャンピオン。彼らの手持ちのポケモンたちを即座に思い出して、自分のポケモンたちのわざ、得意な戦略、苦手な盤面が、まるでカードゲームのように選択肢として頭の中で並び出す。
そして名うてのポケモントレーナーたちをなぎ倒すためにバトルを、組み立てようとしている。


ちゃんはポケモントレーナーだもん。しかもバッジは揃ってるし、どのジムリーダーもちゃんには一目置いてる。実力は申し分なし。だったらポケモンリーグに来なくちゃ」


フヨウの言葉を聞きながらどこかフヨウを見ずに別の考えを走らせ始めているわたしを見て、フヨウは口端を釣り上げた。獲物がまんまに罠にはまったと言わんばかりの、ジュペッタを思わせる笑みだった。


「あたしたちはずーっと、強いポケモントレーナーを待っているんだから。なのにちゃんはいつもダイゴさんのことばかり考えてる、ひどいよ」
「フヨウ……」
「自慢のポケモンたちを連れて、チャンピオンのダイゴに、そして四天王のフヨウに会いに来てよ!」


フヨウの視線が射抜くのは私、そして私のモンスターボールたちの中身だ。






久しぶりに会ったフヨウ、怖かったな。帰り道の夜空にそんな考えがぼんやり浮かんだ。
怖かったなと思いながら、案外平気でいられるのはわたしのポケモントレーナーとしてのスイッチがオンになったせいだろう。今もスイッチが入りっぱなしだ。頭の中で、シミュレーションが続いている。

リーグの門が開いたら、先鋒はカゲツ。彼がフィールドの中央に、不敵な笑みを浮かべて待っている。
戦い方が変わってなければ、彼の初手はグラエナだ。場に出た瞬間、グラエナの強烈ないかくが入る。こうげきが下がった状態ではあまり戦いたくないが、交換している間にすなかけをされても厄介だ。どうにか凌いで、有効打を叩き込みたい。こっちをグラエナを出して、あくわざを受け流しつついわくだきで突破するなんてのもありだろうか。
その次はフヨウ……なんて、どんどん考えが加速して止まらない。


、おかえりなさい」
「ただいま」
「キノココのお参り、ありがとう」
「ああ……、ううん、私も行けてよかった」


母親へそう返事をしたものの、帰宅した今もわたしは上の空だ。ホウエンで屈指の実力を持つトレーナーとのバトルについて考えている。フヨウと別れた後、わたしの様子が変わってしまったことに、ポケモンたちも気づいているようだった。


「そうそう。、あなたに電話があったわよ」
「電話?」
「そう。ダイゴさんって方からの留守番電話」


ぞわぞわぞわと悪寒が背筋を走り抜けていく音が私には聞こえた。
ダイゴはもう、気づいている。わたしが今ホウエン地方内に滞在していること。そしてあの無言電話の相手も私だったことも。
だとしてもダイゴが私相手に何か行動を起こしたりしないだろうと踏んでいたのは飛んだ思い上がりだったらしい。

恐る恐る我が家の電話機を振り返る。点滅するランプ。耳の後ろで、嵐の夜のように風が鳴っている。