ただいマルノーム、40



 窓から差す朝陽に焼かれて、ほんのりと汗をかいた目覚めだった。
 見知らぬ天井。体に溜まった暑さを感じながら体を起こすと、やはり見知らぬ一室。乱れている髪を直しながら、見渡すけれど家主の姿はない。

 昨晩。私が出会ったのは、見た目とは裏腹に気の良さそうなグラエナのトレーナー、ホムラだった。
 赤い、不思議な形をしたフードを被った彼を、最初はちょっと怪しいと思っていた。けれど彼の言葉遣いはさておき、考え方の根っこに悪意は見えないこと、それから彼が育てたであろうグラエナに、いつの間にか警戒心を解かれた私はぽろりと打ち明けてしまったのだ。


『家に、帰りたくなくて』


 家の電話機に入っている、因縁の相手の録音音声のせいだとまではさすがに言えなかった。けれどそうじゃなくてもとんでもない失言だ。家に帰りたくない、なんてこと初対面の男性に打ち明けるようなことではない。
 だけどホムラは私の言葉をそのままに受け取って、言った。


『まあ、そういうこともあるよな』


 ダイゴの、録音した音声から逃げた自分に、自分で失望しきっていた。だけどぽっ、と火を灯してもらった気がした。単純な一言だ。なのにホムラの声は、そっと私が自分自身でも認め難かった気持ちの行き場を作るようで、気を緩めたら泣きそうになってしまった。
 もちろんホムラは私の事情なんて知らない。だけど、それでも「そういうこともある」とありのままを受け止めてもらえた嬉しさがわたしには染みたのだ。


『ありがとう』


 泣きたくなってしまった気持ちが隠しきれない声で、私はホムラにお礼を伝えた。だけど予想外だったのはそのあとだ。照れ臭そうにした彼に、あっけらかんと「じゃあオレの家に泊まっていけばいい」と言われるなんて思っていなかったのだ。
 いやいやまずいだろう、と思う半分、やっぱりホムラとグラエナの姿にほだされて、私はほいほい彼の家へ付いていきそのままシャワーを借りたのち、一晩寝かせてもらった。もちろん何もなかった。

 特に身に何もなく目覚めた瞬間。グラエナを育て上げたトレーナーに悪いやつはいない、なんていうホムラのとんでも理論が、真実味を増したのだった。


 ポケモンたちのなきごえが聞こえる。家主のホムラは、すでに起きていて、自分のポケモンの世話をしているようだった。ホムラの足元で、ドンメルが一心に彼を見上げている。
 昨晩はあまり恐縮していたのもあってあまり室内を見渡せなかった。畳まれていない服なんかに男の一人暮らしっぽさを感じる。


「ウヒャヒャ! 起きたか!」
「オハヨウゴザイマス……」
「ほらよ!」


 ホムラに投げ渡されたもの。何かと思えば、使い捨て歯ブラシをよこされた。


「わ、ありがとうございます。助かる……!」
「だろ? たまにしたっぱを泊めたりするから置いてあるんだ」
「したっぱ……?」


 シーツは余分にあったり、タオルも綺麗めなのを渡してもらえたりと、昨晩は随分と用意がいいことに驚いていた。時々人を泊めたりしているらしいなら、用意の良さも納得だ。
 したっぱ、という言い方は気になるけれど、まあ確かに、このたった数時間でもホムラの人望みたいなのは感じている。彼を慕って、後についていく人間はいてもおかしくない。


「ホムラさん」
「ホムラでいいぜ。堅苦しいのは苦手だ」
「じゃ、じゃあ……、ホムラ」
「なんだ?」


 明るい陽の下で見るホムラはやっぱり人相が悪い。あと街中で活動するには不向きに思える、不思議な服をきている。
 だけどそんなことは今や、些細な問題となっていた。


「一晩泊めてくれたお礼を、何かしたいんだけど……」
「あー、まぁ気にするなよ」
「ホムラがわたしを助けてくれた分、私もホムラにできることがあるならしたいんだよ。なんか言ってくれると、嬉しいんだけどな」


 そこまで言うと、ホムラは少し考えてから言った。


「じゃあ今、オレが打ち込んでいる活動があって」
「活動?」


 一体どんな活動なのだろう? それこそグラエナ布教サークル、もしくはあくタイプの会とかだろうか。さっき彼が言っていた、したっぱもその活動で知り合った仲間のことなのかもしれない。


「一度、見るだけでいいから見に来てくれないか? まあきっと知れば仲間になりたくなると思うがな! ウヒャヒャ! できればリーダーにも会って欲しいぜ」
「リーダー?」
「ああ、マツブサ様だ!」


 素晴らしいお方だ、とホムラが熱く目を輝かせる。
 なんとなく、既視感を覚える。記憶をざっと振り返ると、すぐにその正体に気がついた。イズミさんだ。ホムラとイズミさん、二人とも全然違うタイプだけれど、憧れの人に対する思いの強さやその瞳に宿る情熱が重なるのだ。


「ふーん? わたしからのお礼、そんなのでいいの?」
はポケモントレーナーとして相当の腕だろ。多分オレよりも上なんだろうな。そんなトレーナーがマグマ団に入るかもしれねぇ大チャンスだ!」
「わたしでいいのなら、その活動も、悪いことじゃなければ協力してあげたいくらいだけど」
「いや。義理で参加して欲しいわけじゃねえ。やるならちゃんと、オレたちと同じ思いを共有して、同じ目標を目指してやって欲しい」
「そう?」


 わたしを訳のわからないまま利用したいとは思わない。そう言い切ることのできるホムラが真面目に取り組んでいる活動とは、なんだろう。でもホムラのひたむきな様子からしても印象は悪くない。わたしも彼の活動とやらが好きになれたらいいな、なんて考えた。






 午後からはホムラは件のリーダーに呼ばれているらしい。その前の時間を縫って、わたしとホムラは出かけることにした。簡単なお弁当を用意して、二人で昼食をとったらそこで今日のところはお別れ。お互いに同意して、わたしたちは彼の家を出た。

 ピクニックというと、響きが可愛すぎるが、実際わたしとホムラがやっていることはそれだった。ホムラが好きな場所で食べようということになって、わたしたちはフエンのふもとを歩いている。
 フエンをゆっくりと登っていくと、次第に緑よりも溶岩が固まったあとの黒い岩が目立ってくる。同時にホムラのテンションが上がっていくようだった。彼はドンメルも育てているようだし、どうやら火山好きの男らしい。
 火山好きの男は慣れた様子でわたしを案内する。


「ここの岩の上は座りやすい上に、景色がいいぜ」


 ホムラ言われた通りに上がれば、絶景が私を包みこむ。上は黒く滾るような煙、それが青空に溶けていく。ホウエンの濃い緑が、視界の端から端まで広がっていて、だけど中央には青い海。そして端が丸いと錯覚するほどに長い地平線。
 目をこらすとカイナの造船所の煙突や大型クレーン、キンセツシティらしき建物、それに森の中のお天気研究所もわかりやすくて見つけられた。風と共にホウエンそのものが、私の中に飛び込んでくるようだった。


「う、わぁ……!」


 わたしが心からの感嘆の声をあげると、ホムラもつられてウヒャヒャ、と笑う。


「すごいね、ホムラ。わたし、こんな絶景ポイントは知らなかった……!」


 フエンタウンならこの前行ったし、なんなら頂上近くまで自転車で登ったことだってあるくらいだ。自転車で登山なんて普通ならありえないけれど、この山に限っては、自転車でのわざを駆使しなければ行けないスポットがある。それも制覇して、私はこの周辺を知ったような気持ちになっていた。だけど嬉しいことに、それは今、裏切られた。

 まだ、わたしの知らないホウエン地方がある。そのことが嬉しかった。