マーレインさんのお話のつづきになります。





 仕事を終わらせた夕暮れの帰路でのことだった。だいぶ研究で煮詰まっていた様子のバーネットからホームパーティーのお知らせが来た時は何よりも安心を覚えた。ウルトラホールという果てしない謎を研究テーマにし、檄務をタフにこなしていた彼女に、ホームパーティーをやるくらいの余裕が一旦はできたのだと、安堵したのだ。
 すぐにもちろん行く、楽しみだとメールを返した。日付は確認していない。けれど何よりも優先したい予定だった。

 安堵と、誘われたことへの嬉しさ。それに元気なバーネットに会いにいけるのもなんて嬉しいのだろう。夕凪の海に向かって叫びたいくらい解放的な気持ちだ。
 うずうずと衝動を堪えていると手の中の端末が震えたので驚いてしまった。件のバーネットからの着信だった。

「も、もしもし?」
「ハーイ、! 返事をありがとう!」

 大好きなバーネットの変わらない声が端末から溢れてきて、仕事の疲れが吹き飛んだ。
 バーネットと私は分野は違えど同世代の研究者と技術者。同世代でありながら、女性同士の仲間は貴重だ。もちろん研究者として尊敬もしていて、けれどそれがなくても私はバーネットという人間が大好きだった。

「ううう、バーネット……」
「なになに!?」
「元気そうでよかったよ……。私、心配してたんだからね。まぁパーティーやれるくらいだから一息つける状況になったのかなとは思ったけど」
「あーそうね、ウルトラホールはまだまだ謎に満ちている。けど、成果も認められて、当面の予算も確保したし。たまには息抜きしなきゃね!」
「お誘いありがとう、すごく楽しみにしてる」
なら来てくれると思ってたよ」
「行くに決まってるって! 差し入れは何がいい? 何人くらいでやるの? ドレスコードは?」
「あはは、ってばそんな一気に聞かれても答えられないよ! けど、私とククイでやるパーティーなんだから堅苦しいことは全部なし! ……あ、でもおしゃれしてきてくれるのならドレスで来てよ」
「それ、私浮かない?」
「大丈夫だって! ぜひ!」

 ドレスかぁ。しばらく着ていないから一度着て確認しないと。まぁバーネットのところでやるんだから、カジュアルめでもいいはずだ。なんて、クローゼットの中身を思い出していた私に、唐突に奴の名が降りかかる。

「じゃあ、がドレスで来ること、マーレインに伝えとくね」
「は?」

 さっきまであんなにきゃいきゃいとうるさく騒いでいた私のテンションが、あのひょろメガネの笑顔が思い浮かんだ途端、急にフラットに戻ってしまう。

「なんでマーレイン……?」
「良いでしょ。ふふっ、言うのが楽しみだ」
「だめじゃ、ないけど……」

 なんで今の流れで奴、マーレインの名前が出て来たのだろう? 私の参加を言うのが楽しみって、なんで? バーネットの言う意味がさっぱりわからない。

はマーレイン来ると思うかい?」
「マーレインねー」
「そんな興味なさそうにしなくても。予想だよ、予想」

 仕方なく、薄くて縦に長い背中を思い出す。それとへらっとした笑顔を。あいつは外交的な性格ではない。けれど、別に人嫌いなわけではない。むしろ誰かに対して期待したり物事を託したりできる人間だ。だから、マーマネのことをマーくんと読んで、年齢や立場を超えて仲良くしているのだろう。
 気弱そうに見えるのに案外堂々としていて、人見知りもしない。パーティに出ていたことは過去にもある。けど。

「まぁ、来ないんじゃないかな。忙しそうだし。と思うけど」
「賭けてみる?」
「なんでよ」

 どうしてそんな物事に賭けることまでしなくてはならないのか。ばからしくて、笑い混じりになってしまう。バーネットはなぜそこまでマーレインにこだわるのだろう。
 その時私ははいはい、と適当な返事をしていた。その適当さがあとで大変なことになるとも知らずに。



 その日の夜だった。メールが一件入ったのは。しかも差出人はバーネットがなぜかネタにしてきたマーレインである。シャワーを終え、眠る準備をしていたのに。急なメールに暴れそうになる胸を押さえつけながら開いてみる。

『バーネットとククイのホームパーティー、本当に行くのかい?』

 ……なんだこのメールは。意図がわからない。それでいて何通りにも深読みの出来そうな内容に、思わず唸ってしまった。
 まさかマーレイン、私が行くことを知ったら行かないとか言いださないよね。マーレインとは仲が悪いとは言えないが、仲が良いとも言えない。時々迷惑もかけている気がする。もし私を顔を合わせないようにこちらの予定を聞いて来てるとしたら、もうこのメールだけで私は傷ついて一週間引きずることができる。

 私は、考えすぎるくらい考えた上で、こう返した。

『マーレインは行くの?』

 ずるい返事だっただろうかと後悔を巡らせる間もなく、すぐに返事が届いた。

『行くよ。も行くんだよね?』

 しつこく確認してくるので、こんどは素直に返した。

『行くつもりだよ。バーネットに久しぶりに会えるの、すごく楽しみだから』

 送信するとまたすぐさま返事が届く。

『正気かい?』
「失礼な……」

 やや、むっとしつつ『素面だよ』と返事を打った。こんなに頻繁にメールをやりとりしたのは、私とマーレインの長い友情史上初めてである。

 こんな夜中に、即返事が届くということは、マーレインも私と同じようにメールを待って端末を握りしめているのだろうか。
 そもそもマーレインが今いるのはどこだろう。ホクラニ天文台? それとも自宅? 誰かと食事になんて行ってないよね、自宅であってもひとりきりだよね? 気になるひとは誰もいないって言ってたのを確認したのは随分前だけど、それは今も変わっていない?

 同じように端末を握りしてめているとしても、こんなに相手のことを考えてしまっているのはきっと私だけだな。
 乾いた笑いが漏れる。もちろん自分に対する冷笑だ。

『本当に大丈夫? バーネットと君は仲良しで彼女に会いたい気持ちはわかるけれど、よく考えた方がいいと僕は思う』
「………、うーん……」

 バーネットの言うことも意味がわからなかった。だけどマーレインの方も、何を言っているかさっぱり分からない。

『ごめん、どういう意味かわからない。不安な要素があるならはっきり言って』
『不安というか心配してるんだよ。二人の結婚式の時も見ていられなかった』

 ククイとバーネット、二人の結婚式、と言うと……。私が派手に嬉し泣きしたことだろうか。

 あの日は本当に嬉しくて嬉しくて泣いていたのだけど、後からひどい顔で大号泣していたと教えられた。
 だって大切な友人が結婚するのだ。花嫁衣装をまとったバーネットが言葉を失うくらい綺麗で、そして最高に幸せそうに笑っているのだ。そんなの泣くに決まっている。けれど私が嗚咽を漏らしながらあまり酷く泣くので、周りも苦笑いを通り越して笑い者になっていたことは確かだった。

 ああそういえばマーレインはあの時私にハンカチを差し出してくれていた。何度も背中を擦ってくれて、参ったなあという顔をさせていたのを思い出した。確かにあの日、随分マーレインを困らせた気がする。マーレインが勝手に私を心配してくれて、勝手に困っていたのだが。

『嬉しいの、嬉しくて泣いているの』。そう何度も訴えたけれど、彼はずっと腰を折って、子供以上に泣く私に付き添ってくれていた。結婚式が終わっても、二次会になっても、ずっと横にいてくれたことを覚えている。
 あの日は頭がおかしくなってしまったのかと思うくらい泣いていたから、細かいことは何も覚えていない。けれど幸福が光となって滲み出していたバーネットは美しい記憶として、なんとか落ち着けようとしてくれたマーレインはその手の大きさ暖かさは胸を苦しくさせる記憶として、焼き付いている。

 メールの返事が思い浮かばない。マーレインはそういうつもりで結婚式の話を出したわけじゃないとわかっていても、私はたちまち複雑な心境の沼に陥ってしまった。
 このまま寝てしまってもいいだろうか。私がもう返信を諦めかけたとき、マーレインからのメールが追加される。

『ちょうどいいから行く前に待ち合わせようか』
「は!?」

 何がちょうど良い!? なぜ待ち合わせることになった!? いや、どちらかといえば嬉しいけれど、どうしてこうなったがますます理解できない。

『まあいいけど。どこ行ったらいいか教えてね』

 冷静を装ったらまたもかわいらしさゼロの文面になってしまった。でも、下手に聞いて話が変わるよりは、と思ってしまったのだ。
 マーレインは眠りかけた私をたった一文で明け方まで眠れなくした。



 

 パーティー当日。待ち合わせ場所はトレーナーズスクール横のポケモンセンターということになった。うーん、色気も何もないのが私たちっぽい。これがハウオリタウンのカフェとかなら、まだデートっぽく見えただろうに。
 でも、嬉しいと思ってしまっている。マーレインが私を待ってくれている。ほんのりと疼く胸を押さえつけながらポケモンセンターに入ると、背中を丸めてコーヒーを飲む姿があった。

「お待たせー」
「やあ。君も何か頼んだら」
「そうだね、時間少し早いからね」

 アイスのロズレイティーを頼んで隣に座る。並んで座ると、彼の顔がすぐには見れなくなる。私を緊張を紛らわすようにまっすぐカウンターの奥を見つめた。

 マーレインと私の距離感はとにかく楽で、気安くて、そして色気というものが一切ない。だからこうしておしゃれした姿をわざわざ見せる機会なんて無いに等しい。だけど今日はパーティーだということ以上に、マーレインが待ち合わせるとか言うから、当初の予定より服装には気を使った。支度にいつもより多めの時間を用意した。
 マーレインは何も言ってくれないけど、まあ良いのだ。片思いとは常に、そういう身勝手な努力を無駄に費やしていくものなのだ。

「パーティー、楽しみだね」

 本当はいつもはしないおしゃれをしてマーレインと待ち合わせた楽しさを、パーティーへの期待に置き換えてそう言った。ここに来るまではバーネットに会えることばかりが楽しみだったのに、今の私にはもう別の嬉しさがじわじわとどこからか染み出している。

「僕は気が気じゃないけど」
「えー、何が?」
「やっぱり、行くんだよね」
「行くなって? もう着替えた上に、ここまで来てるのに」
「バーネットのホームパーティに行くってことは、ククイくんもいるんだよ?」
「そんなの当たり前でしょ」

 ククイに会うのも久しぶりになる。彼は時々、テレビに仮初の姿を見ることができるから、まあ元気にしているだろうなと思っていた。やっぱりバーネットに会えることが一番の楽しみだ。

「結婚式の時はあんなに泣いて、二次会までずっとひどい顔をしていた。あの時から僕は君を慰める係だ」
「何を心配しているんだか。今更もう泣くわけないでしょ」
「本当に? 心配はしているけれど、我慢はしなくていいんだよ」
「泣かないよ、本当に! むしろあれが最後に泣いた日だよ」

 マーレインが苦笑いするが、本当のことだ。記憶を探る限りあの時がひとつの感情のピークで、以来泣いた覚えがない。単純に泣くような出来事がなかっただけだが。

「パーティーなのに、普段とほとんど変わらないね、マーレインは」
「ククイのところだからね。本当は行く気もなかったし」
「そうなの!?」
「いや、行くことにしたんだ」
「あ、そう……」

 ククイとマーレインの間柄は意外に淡白なのかもしれない。まあ男同士というのはそんなもんか。ふと、マーレインから視線を感じる。

「な、何?」
「もう少し服装に気を使うべきだったかなと反省しているんだよ」
「そう?」

 今度は私がマーレインへ視線を送る。
 マーレインはおろしたてみたいな白く綺麗なシャツを着ていた。いつもの青い上着を重ねてしまっているせいで、パッと見が何も変わっていないのが残念だけど、汚らしさはないし、大人として最低限のカッコつけはしている。

「十分だと思う。むしろ、私が浮かれてるだけだから……」

 あ、今のは失言だったな。

「行こうよマーレイン。パーティーに遅れちゃう」

 お金を置いて、席から立つ。けれどマーレインは座ったままだった。

「マーレイン?」
「……待ち合わせしたけど、やっぱりここからは別行動にしよう。少し遅れて行くから先に行ってて」
「え?」
「一緒に行ったら変な勘繰りを受けるからね」
「それもそうだね」

 二人で一緒にドアを叩いたところをもし冷やかされたら。迎えたバーネットとククイが、ニヤリと笑うのが想像できてしまう。理由はそれぞれ違うだろうけど、困ることには変わりない。

「じゃあ、また後でね、マーレイン」

 さっくりと別れる。なんで、いいじゃない、一緒に行こうよと、言えない関係性だ。そういう可愛さのないのが、私だ。

 待ち合わせなんて言われたから、マーレインにエスコートじみたことを期待していた。そんなに丁重に扱われなくても、一緒に歩くのだと想像しただけで嬉しさが溢れて来て、足取りが軽かった。ここに来るまでは。
 ああ、早くバーネットに会いたい。心臓が蠢きだす。必死の、なんでもない顔をして、ポケモンセンターを出ようと歩き出す。

「や、やっぱり、家の前の角まで一緒に行こう!」
「………」
「それで、直前でバラバラに行くのはどうだい……?」

 なんでこんなめんどくさいことをしようとしてるのか。
 私との仲を周りにどうのこうの言われるのを面倒くさがられている。でもマーレインが一緒に歩いてくれるなら、何があってもそっちの方がいい。

「うん、そうしよ」

 今度は言えた。小さな望みを叶えるための願いの言葉。
 バカみたいだ。私、こんなことでこんなに嬉しくなってしまっている。結局、服装なんかを一言も褒められていないけれど、今の私、絶対浮かれた顔をしている。もし少し時間をずらしてパーティーに参加して待ち合わせなんてなかったことになっても、私の気持ちは誤魔化せないように思う。

 こんなことになってる私にマーレインはきっと今夜も気づかない。でもそれでいい。無駄な努力を勝手に重ねて、無駄に振り回されて、だけど時たまもたらされるスプーン一匙のあまいみつのような報酬に無限のように嬉しくなって苦しみを忘れる。それが今日も明日も明後日も続くであろう、私の片思いなのだ。