素直になれず冷たくしてしまうキバナさんの続きのお話です。
空の高さにふうっと、気持ちが吸いこまれていく。弱まりつつある日差しが照らし出す城壁は柔らかく光っていて、まるで今日のナックルシティは微笑んでいるみたいだ。……なんて、綺麗な言い方をしてみたけれど、ただ単に私はぼうっとしていたのである。それをたしなめるみたいなキバナさんの声で私は現実に引き戻された。
「おい」
「あっ、すみませんでした……! いつもご利用ありがとうございます、フレンドリィショップナックルシティエリア担当、です」
「毎週来てるんだ、コダックでもさすがに覚えるぜ」
私がいつも通りの挨拶をすると、キバナさんは剣呑に肩を竦めた。
キバナさんという方は、普段はタレ目に広角が緩く上がった、ちょっとヌメラにも見えてきそうな表情をしている。スタジアムでは荒ぶる姿を見せながらも、普段の凪いだ表情はギャップがあってどきりとさせられるし、さりげないピアスなどのおしゃれさでなるほどファンも増えるわけだと画面越しに納得のため息を吐いたものだ。
だけどこうして現場で実際にお会いするとキバナさんの迫力には悠長にため息なんてついていられない。納品書に向ける気の抜けた顔と、私に向けられる険しい表情のギャップを目の当たりにすると、そこそこの痛みを伴って胸がどきりとさせられる。
しかも、今日は早々に目尻が釣り上がっていらっしゃる。私は何かすでにしてしまったんだろうかと思うと、緊張の汗が溢れて来て、特に背中側がじんわり湿ってくる。
「あ、あははは……! そういう意味ではないです、決して! キバナさんの記憶力を疑ってご挨拶したわけでは……!」
「オレさまも。そういう意味じゃねえよ。……ああなんだ、今日は一人か」
「そ、そうですね、今日は大きな荷物もなかったので、ポケモンさんたちにはお店の方を手伝ってもらっています」
「ふーん……」
キバナさんのセリフと意味深な間。それでようやく、合点がいった。今日はポケモンなしに納品に来たから、いつもよりキバナさんの顔が険しいのだと。
納品中に一言二言、交わす中知ったこと。それはキバナさんはやはり人一倍ポケモン好きだということだ。最愛なのはやはり自分で育てて、一緒に戦うパートナーなのだろう。けど、ポケモンに向けられる興味や関心は、毎回ポケジョブでやってくるポケモンたちにも平等に向けられるのだ。
キバナさんは私にとっては緊張なしには会えないひとだけれど、そういうところは可愛らしく感じてしまう。
「じゃあまあ、これは店舗の方で働いてる奴に渡してくれ」
「あ、ありがとうございます」
キバナさんに渡された、紙袋。中身はその日によるが、だいたいポケモンフーズだ。
このようにキバナさんはポケモンに対しては甘い。こおりタイプやフェアリータイプが来ると少し口の曲がり具合がきつくなるけれど、どんな子が来てもお駄賃めいた何かをプレゼントしている。そして短い時間ながら観察するような目線を向けて、ふれあったりもする。
触れ方、扱い方を心得た手だからか、ポケモンたちの反応も良い。
多分、ちょっとレアなキバナさんの表情はファンにとってはなかなかのサービスシーンな気もする。だけど、こういうところがSNSに乗ったのを見たことがない。
しくってしまったなぁと胸の内でため息を吐く。確かに、お手伝いしてくれるポケモンが一緒だと、ここで会うキバナさんの雰囲気がちょっと和らぐのだ。手伝ってもらうこともないのにポケモンを付き合わせるのも気がひけるからと一人で来てしまったのは失敗だったかもしれない。
取引先のご機嫌は大事だ。邪道かもしれないけれど、誰かポケモンがいてくれたら、キバナさんとの会話の間もなんとかなったはずだった。
こういうところだぞ、。私は密かに肩を落として自分の気の利かなさを嘆いた。
私ではどうしてもスムーズに続かないキバナさんとの会話。そもそもポケモンに頼らなければまともにいい空気を作れない、自分のスキルが悲しい。笑顔でいなきゃと思うものの、目線がどうやっても下がっていく。
重たいため息をつきそうになって、肺がいっぱいの息を吸い込んだ。その瞬間だった。
ふわっと香るもの。鼻腔が心地よい花と葉の香りに刺激される。
思わず顔を上げ、私はどっと冷や汗をかいた。
香りの正体は、キバナさんの手首にかけられたブレスレットだ。
キバナさんの手はパーカーのポケットに突っ込まれていて、そのポケットの淵からちらちらと覗くものに見覚えがある。なぜならそれは、私が先日キバナさんに渡したものである。
もちろん私が送ったものをキバナさんが身につけてくれているという光景は、ファンなら状況が理解できずに爆発必須。ファンじゃなくてもファンになってしまうくらい嬉しいものだろう。
だけど、大きな問題がひとつだけ存在している。
(キバナさん、それ、ポケモン用です……!)
私が贈ったブレスレットは、ポケモンがつけると、ブレスレットに練り込まれたミントの香りで癒されたり、リラックスしたりするらしい。キバナさんのポケモンにこういうものがふさわしいかはわからない。けれど、ポケモンにいいものを与えたいトレーナーに今人気の商品で、いつもフレンドリィショップを手伝うポケモンたちに色々いただいてるお礼として、少し冒険しつつも選んだものだった。
なのにそれをキバナさん自身がつけてる。どうしよう、どうしよう、どうしよう。言えない、それポケモン用ですなんて……!
絶句している私に、キバナさんは怪訝そうにまた目尻を釣り上げる。
「なんだよ」
「い、いえではまた次回もよろしくお願いいたします何かありましたらいつでもご連絡ください失礼します!!」
いつもの文句を一息で言い切って、私はダッシュでナックルジムを後にした。
結局、私はキバナさんに指摘することはできなかった。
だけど後悔は後からやってくる。他所へのご挨拶を終え、フレンドリィショップへの帰り道を辿りながら、私はふと思ったのだ。
もし、私以外にあのブレスレットのことを知ってるひとが現れたら? そのひとがキバナさんに真実を伝えたら、キバナさんは恥をかくのではないだろうか。私が紛らわしいものを送ったせいで、キバナさんの名誉が傷つくなんて、申し訳が立たない。
だけど「それポケモン用ですよ」と言った後のキバナさんの反応を想像すると、とてもそんな勇気は持てない。顔を赤くさせてしまっても、絶対零度の冷たい表情を向けられても、私は精神的に大打撃を受けてしばらく立ち直れないだろう。
いや本当に大打撃を受けるのはキバナさんだ。そうだとわかっているのに、体はナックルジムに戻ろうとしてくれない。
自分に心底嫌気がさした。
「意気地なし……」
そう、声にだって出てしまう。自分の恐怖がまさって、誰かのために動こうと思えないなんて、意気地なしに決まっている。
ポケモンのお手伝いなしに外回りをこないした足にはそれなりの疲れが溜まっている。そこに重なった、自分への失望。歩いているのが途端に辛くなって、私はフラフラと近くのベンチに身を寄せた。仕事用の大きめのカバンを脇に置く。その上に、手にずっと握っていたキバナさんからのポケモンフーズを乗せると、またあのひとの顔が蘇った。
いまだに関係は良好とは言えない。だけど私はキバナさんが嫌いなわけではない。トップジムリーダーだし、憧れだってある。警戒というか拒絶されているなかで垣間見える人柄は、やっぱりガラルの人々が夢中になる理由が詰め込まれている。
そんなキバナさんに対して、私は。
私は大きくため息をつくと、ポケモンフーズの袋を手に取り、開封した。
見た目はスタンダードなポケモンフーズだ。茶色く、ボーロのような形をしていて、一見ぼそぼそしたスナック菓子にも見える。
手に取って匂いを嗅いでみる。ポケモンには食欲がそそる香りなんだろうか、ちょっと人間にはよくわからない香りだ。
私はポケモンフーズにまじまじと対峙した。
味付けがポケモン向けなだけで、同じ生き物が食べるものだ。体に害はないはず。大丈夫。そう念じてから、二、三個をまとめて口の中に放り込んだ。
「うぅ……っ」
なんとも言えない香りと味が口の中に広がる。あとやっぱりパサパサしていて、口の中の水分が吸われる。でも私は耐えた。
これはいわゆる贖罪、ちょっとした罪滅ぼしのつもりだった。もちろん私がポケモンフーズを食べたからといって許されるわけじゃない。許されはしないけれど、このままなんでもない顔をしていられる私でもない。
キバナさんはポケモン用のブレスレットを間違えてつけている。だったら私も、人通りのあるこの場所でポケモンフーズを食べて、キバナさんの恥を知ろう。キバナさん、本当にごめんなさい。意気地なしの私で。こんな私だから、なかなか認めてもらえないんですよね。またポケモンフーズをいくつか手に乗せ、おいうちのように口に放り込もうとした時だった。
「っ待て!」
慌てた声と同時に、私を立ち上がらせる大きな手。あれ、キバナさんどうしてこんなところに。口に物が入っていたせいで驚きで喉が詰まった。
ポケモンフーズが手からこぼれ落ちると同時に、背中を大きな手のひらで叩かれた。
「それは本当にポケモン用だ!」
いや、ポケモン用とわかっていて食べているんです。これは罪滅ぼしなんです。だけどキバナさんは必死の形相で、私に下を向けさせ背中を叩いて吐き出すようにうながされる。これ以上こらえていると喉の奥に指を突っ込まれかねない気もして、私は茂みの中にぺっと吐き出した。
「痛くなかったか?」
背中をさすりながらそう聞かれる。キバナさんは私の背中を叩いたことを心配してるらしい。数回コクコクと頷くと、キバナさんが脱力したように肩を落とした。
ふと気づくと、キバナさんの後ろにはフライゴンがいる。このフライゴンに乗って駆けつけてくれたのだろうか。
「なんで人間用はポケモンに渡してポケモン用をオマエが食べるんだよ……」
「………」
一応、理由あっての行動だった。だけど説明するといちから伝えねばならないため、やはりキバナさんには言えない。
私が気まずく黙っていると、キバナさんは再度深いため息を吐く。
「さんさ」
名前を呼ばれたことも、それがさん付けだった事も驚いた。いや、仕事上の関係なので当たり前だ。けれど聞きなれない響きは私の調子を崩していく。
「何か嫌なことでもあったのか?」
「ど、どうしてそう思うんですか?」
嫌なこととは口に出して言えないけど、私を何度も落ち込ませたキバナさんがそんなことを言う。
「さん、アレがポケモンフーズだってわかってたのに食べただろ。だからヤケになったとかかなと思った。顔が鬼気迫ってたから、普段から食ってるわけでもなさそうだし」
「そうですね、普段使いはしてません……」
「まあオレさまはジムリーダーで、フレンドリィショップの内部とかはよく分からねえけど、話聞くくらいはできるからさ」
「………」
キバナさんはどこまでいい人なんだろうか。人間を手伝ってくれるポケモンを、初対面でも一匹一匹を慈しんでくれる。多分そんなに好感を抱いてない人間がプレゼントしたものでも、使ってくれたりする。
そして顔見知り程度の相手なのに、ポケモンフーズを食べるほどの奇行に走るほどのストレスがあるのかと、心配してくれている。たくさんのものを抱えているんだから、私なんかを捨て置いたって不思議じゃないのにキバナさんはそれをせずに助けたいと思ってくれているのだ。
キバナさん、すごいなぁと心底感じた。同時に感じるのは、自分の悩みはなんて小さいのだろうということだ。同じ土俵に立てるとは思っていないけれど、キバナさんの人間性は、私のことも引き連れて上へと引っ張り上げれくれる。
「……あれは、罪滅ぼしです」
「罪滅ぼし?」
「っキバナさんがつけてる、それ、ポケモン用なんですっ!」
ようやく、言えた。伝えることができた。勢いが途切れてしまう前に私は思いっきり頭を下げた。
「ごめんなさい! 私がちゃんと伝えなかったから、キバナさんにカッコわるい真似をさせてしまって……!」
「それで罪滅ぼしにポケモンフーズか?」
「はい……。本当に、申し訳ありませんでした……」
「謝るなよ。別に人間がつけて害ある物でもねえだろ?」
キバナさんは私が想像していたようには顔色を変えなかった。顔を赤くも青くもせず、乾いた笑いで肩をすくめている。
「でも!」
「オレさま、知っててつけてんだから、オマエは気にすんな」
「え、知って、え……?」
すぐには信じられない言葉を、思わず繰り返す。キバナさんは、そうだと言わんばかり浅く頷いて、また肩をすくめる。
拍子抜けて、思わずぽろりと本音が漏れる。
「……なんで?」
「それは言いたくねえ」
その質問の何がいけなかったのかわからない。わからないが、また一瞬でキバナさんの目がつり上がる。さすがの高身長から見下ろされると、反射的に私の身も縮こまって下を向いてしまった。私がいつも対峙するキバナさんだ。冷や汗をかきながらも思ううちに、今度こそキバナさんは去ってしまった。フライゴンとともに。
「ではまた次回もよろしくお願いいたします。何かありましたらいつでもご連絡ください。それでは失礼します」
いつもの納品を終え、いつものご挨拶。私を見送る、いつもの刺々しいキバナさん。いつも通り、うまく顔をあげられない私。でもかすかな香りが鼻先をくすぐる。
宝物個の裏口から離れて、私は熱い息を吐いた。
キバナさんがいまだにつけているブレスレットは流石に効果が切れてきたようで、香りは本当にごくかすかになった。
だけどほんの僅かな香りでも、私をざわつかせるには十分だ。
私の中ではまだ、なんで、という疑問が鳴り響いて反響を繰り返している。
ミントの香りと、彼の手首に絡みつくブレスレット。背中を叩いてさすってくれたキバナさんの手。それは仕事をしても帰っても、何をしていても私の頭の中を占拠するようになってしまったのだった。
(「素直になれず冷たくしてしまうキバナさんの続きが見たい」とのリクエスト、ありがとうございました)