私って筋肉フェチなんだよねー。友達にそう話すと、大体は驚いたような反応をされる。その後に「細マッチョっていいよね!」という軽薄な、多分気遣って共感をしてくれてるんだと分かってるけど、重度の筋肉フェチからすると正直言って軽薄な、決まった反応をされてしまう。
その安易な同意が聞こえてくるより前に、私はこの言葉でこの身に宿る筋肉フェチが本物であることをアピールするのだ。
『だからサワロ先生の授業、いつもドキドキしすぎて辛いの』
アカデミーに在籍して様々な出会いがあったけれども、私の中のナンバーワンは最高に刺さる筋肉をお持ちのサワロ先生だ。彼を超える人に、私は未だ出会っていない。
私の筋肉フェチは本物である。同時にサワロ先生へ溢れる無限のトキメキも本物なのである。だからだから私は入学以来ずっと同じクラスながら、ほとんど話したことの無いペパーへと、自分から難なく声をかけられたのだ。
「ペパー、来てくれてありがとう」
「お、おお……」
授業が終わるなり私は即、同級生のペパーを人気のない廊下へ強引に連れ込んだ。これから彼に打ち明けるのは私の恋愛事情。クラスのド真ん中では話せるわけがない。
目を白黒させているペパーに私はいきなり本題へと切り込んだ。
「突然だけど私、筋肉フェチなんだよね! だから、その……」
その時の私はこう考えていた。ペパーもきっと、他の人たちと同じような反応をするに違いない。驚いたあとの反応はきっと細マッチョ、人気だよなとか、そんなもんだ。
安易な偏見を跳ね除けるべく、私は自分の恋心を打ち明けよとしたが、すぐには言えなかった。
不意に思い出したのだ。そういえばサワロ先生が好きなこと、友達に言ったことはあっても異性に言うのは初めてだという事に。急に迫り上がってきた緊張を押さえつけるのに手間取っていると、冷静な顔をしたペパーがさも当然かのように言った。
「ああ、
ってサワロ先生のことすっげぇ熱く見てるもんな」
「っなんで知ってるの!?」
「あー……、なんか、気づいた」
ペパーは気まずそうに頭をガシガシかいている。というか名前を覚えてもらっているとは意外だ。ほとんど話したことのない私の名前をちゃんと覚えているくらいだから、ペパーは意外と周りをちゃんと見ているタイプなのかもしれない。
「あ。えっと、そうなの。私、サワロ先生がもう、好きで好きすぎて、サワロ先生が視界に入ると世界がフワフワし出す。ああいうのソフトクリームカスって言うんだっけ」
「ソフトフォーカスな」
「とにかくぼやける。体の動き全部がスローモーションに見えるし、あとサワロ先生の声だけめっちゃエコーかかってる」
「なんとなくわかってたけどよ、かなりの重症ちゃんだな」
「だから授業が全く頭に入って来ないんだ。おかげで家庭科の成績がね……、グロい……」
「グロいってなんだよ!」
「評定見ると具合悪くなる」
ペパーから景気の良いツッコミが入る。だけど冗談で言ってるわけでも、大袈裟言ってるわけでもない。前回の自分の家庭科の成績は見ていられないものだったのだ。
「サワロ先生に失望されちゃうような成績で、気持ち悪くなるの、本当に……」
「………」
ペパーは、私の本気の叫びへ、ただ沈黙をくれた。いけない、なんだか空気が重くなってしまった。私は自分のやらかしを吹き飛ばすように、ペパーに一番伝えたかったことへ話を戻した。
「んで! 聞いたところペパーって家庭科の成績いいらしいじゃん!?」
「お!? おお……、まあそうだな」
「でしょ! サワロ先生がペパーのこと褒めてたの、私覚えてるんだから! だからね、私の勉強を手伝って欲しいの! 主に実技部分! 授業中はサワロ先生にメロメロでも、自習でなら頭もまともに働くと思うし!」
家庭科のテストが返却される時、サワロ先生は私に少しだけ困った顔をする。大好きな相手にそんな顔をさせることがずっと心苦しかった。
私は生まれつきの筋肉フェチで、授業中にときめいてしまうのは、自分でもどうしようも出来ない。だから、サワロ先生のいないところではせめて努力したいのだ。
私はもう一度、ペパーに向き直り、真剣に願いを伝える。
「ペパー、お願い。私頑張るし、お礼もするから!」
真剣なあまり私は彼へと詰め寄りすぎたらしい。ペパーは、私を宥めるように両手をかざしてくる。大きな手のひらに気圧されて、元の距離感に戻れば、彼は大きなため息の後にこう言ってくれた。
「……わかった、わかった。礼とか良いよ。オレら学生だからまあ、勉強教え合うのは当然っていうか」
「そんな! ペパーの時間とか結構とっちゃうと思うし! でも……でも、嫌じゃないなら嬉しい!」
私の家庭科の成績はひどいもので、数日前まで本気で絶望していた。だけど、今、どうにか未来が開かれたのだ。この同級生のおかげで。私は彼の手に飛びついた。
「よろしくね、ペパー!」
こうして私は、彼の力を借りて家庭科の自習に打ち込むことになった。宝探しの課題のためかペパーはアカデミーを不在気味だ。なのでペパーが在寮している時に連絡をもらって、教室や家庭科室に集まり、勉強会を開いた。
自習のパートナーにペパーを選んだのは大正解だったとすぐにわかった。
家庭でできるポケモンのケアについての知識はもちろん、食材ごとの栄養素を暗記していたり、組み合わせの良い調味料を熟知していたり。ペパーの知識の豊富さは単なる料理好きの域を超えている。
一番の得意分野は料理のようだけれど、生まれつき手先が器用なのだろう。私が裁縫の練習をするなら自分のエプロンに、サワロ先生とお揃いのプリンのアップリケがしたいと言ったら、教科書を覗き込みつつもお手本を見せてくれた。
ペパーの手元をよく見て、真似して針を刺す。曲がったり歪な形になってしまったら、ペパーが糸を引き抜いて巻き戻してくれるので、もう一度慎重に縫い付ける。その繰り返しにペパーは根気良く付き合ってくれたのだ。
『ペパー、できたよ! まだちょっと歪だけど……でもすっごくお気に入りになった! ありがとう!』
無事に出来上がったアップリケ付きのエプロン。達成感を噛み締めると同時に、私はペパーへ申し訳なさを覚えた。付き合わせるのはほんの小一時間くらいを予定していたのに、いつの間にか教室の外は夜だ。
『……でも、すっかり夜になっちゃったね。ごめんなさい』
不器用かつ進みの遅い手元を見守っている時間はとても退屈だっただろう。気まずく頭を下げようとした時だった。
『そんなこと気にするなよ! むしろこんな時間まで集中してやりきったの、すごいじゃんか? 作りたいものが完成した時の喜びって、まじ最高ちゃんだよな!』
慰めや、気遣いから来るセリフでは無かった。憧れのアップリケができた。その喜びにしっかりと寄り添って、両手を挙げてまで本気で喜んでくれるペパーのリアクションに、私は強く思った。
自習のパートナーを彼にお願いしたのは、紛れもない大正解だ。
「ペパーってば、ゆで卵のカラ剥くの本当に上手! 傷ひとつない! 綺麗でつるつるー!」
「そ、そうか?」
今日は実技練習を兼ねてのサンドウィッチづくりである。
場所は私の部屋。キッチンを使って、食材の下準備をいちから行なっている。
本当は自分の部屋に異性を招くのはやめておくべきことなのかもしれない。だけど相手はペパーだ。私の下手くそな裁縫に夜中まで付き合って、完成をバンザイで一緒に喜んでくれるような、いいやつなのだ。
あの一件以来、私はペパーの人柄をすっかり信頼している。
メモ帳がわりにスマホロトムで動画を撮りながら調理しているのだけど、ペパーの手元は見入ってしまう手際の良さだ。
「こうやって冷水に浸して剥くと、綺麗につるんと剥けちゃうんだぜ」
「本当だ。ペパーってさ、こういうちょっとした知識も知ってるよね。茹で時間とかも暗記してるの強すぎ!」
「へへ……」
ゆで卵の出来と知識の豊富さを褒められて、ペパーはまんざらでもないらしい。明後日の方向を向くペパーは明らかに照れていた。
「ペパーって動画投稿とかはしないの? お料理チャンネルとか開設したら稼げちゃうんじゃない!?」
腕前を褒められて嬉しそうにしているのだから、もっと全世界の人に褒められるチャンスがあっても良いと思った。なので動画投稿を提案して見たけれど、ペパーは興味がなさそうに、むしろ面倒臭そうに肩を落とすのだ。
彼の技能は世界ではなく、目の前のこのキッチンや、大好きなポケモンたちに向けられている。彼が意識してそうしている。
自分のプライベートな場所に、同級生の男の子がいる。多分気を抜いてはいけないシチュエーションなのに、ペパーの人柄にまたひとつ気がついて、私はますます気分が緩んでいくのだった。
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後編