※むしポケモンが苦手な女の子とリョウくんのお話の続きです
好きな人から親切心を分けてもらえるようになった。それは、世間一般では仲良くなったと言うらしい。もう一歩進んで、私の側に下心があることを踏まえれば、それは恋の進展と捉えて良いらしい。
だけど私はこうも思うのだ。進展なんてとんでもない。距離は変わってない。私のみがさらに深く、リョウくんを好きになってるだけなのではないかと。
通勤路の木がわっさわっさと揺れていると、なるべく離れたルートを歩く。本日も、私はむしタイプのポケモンが苦手だ。
それでもリョウくんという存在に助けられて、私は変わりつつある。
ミツハニーの裏側はまだ見られる気がしない。けれど、葉が黄金色に熟したその木のみつは甘いのだろな、だからミツハニーも喜んで、大忙しでみつあつめをしているのだろなと心を寄せるくらいにはなっている。
ミツハニーのみつあつめについて教えてくれたのもリョウくんだ。知らぬ間にミツハニーがみつを持っていて、人間にもそれを分けてくれるのだそう。だからミツハニーのトレーナーはあまいみつが家にどんどん増えていき、次第にトレーナーはあまいみつを自分だけでは食べきれなくなる。
行き場のないあまいみつは、どうなってしまうの。私の関心を受けて、リョウくんは目を輝かせながら教えてくれた。
『あまいみつを貰いすぎたトレーナーがどうするかっていうとね、大体の人が木に塗り始めるんだ! みつに惹かれてたくさんのポケモンが現れるからね。みつを塗ったまま、後で様子を見にこないトレーナーもいるけど。
でも結果的に見るとね、ミツハニーのみつは人間の手を介して、たくさんのポケモンに届けてるんだ』
ミツハニーがそんな優しいポケモンだったなんて。知らなかった。
驚きを口にすると、今度のリョウくんはやんわりとそれを否定した。
『いや、きっと彼らは自分達のために周りのポケモンと環境を潤してる。自分たちの住む環境が良くなれば、花のみつはもっと集まるようになって、女王たるビークインも喜ぶ。ミツハニーはそれを知ってるから、人間にも分けてくれるのかもしれないですよね!』
人間にも、人間の向こうにいるポケモンにも、花と森の恩恵を行き渡らせる働き者。そしてただ闇雲に働くだけじゃなく、女王のために賢さも供える、優しいだけじゃない兵。それがミツハニーなのかもしれない。
そんなエピソードを聞いて、私はミツハニーをただの裏側が気持ち悪いポケモンだとは思えなくなってしまったのだ。
リョウくんの博識ぶりはすごい。それをひとつひとつ分かりやすく伝えてくれる、熱い口調は、むしポケモンが心の底から好きなことが伝わってくる。私も好きになれたらいいのに。そう思うのに、この肌は思いより先走って粟立つ。
「ひぃっ! む、むり……!」
目の前を横切ったコロボーシに鳥肌が止まらなくなる。
私の道のりはまだまだ前途多難のようだ。
「おっ、!! 早いな!!」
おはようございます、と朝の挨拶をする前に私の背中を鼓膜を破らんばかりの声量を爆発させる。声の主はオーバさんだ。
「じゃあなっ!!」
多分、挨拶を済ませオーバさんはすでに満足したのだろう。私が返事をする前に彼は片手をバッと上げ、去っていってしまった。どうすればよかったのか、さっぱりわからない私をその場に置いて。
リョウくんと少し仲良くなれた頃からだ。私はポケモンリーグにいる人々へ、微妙な気まずさを覚えるようになっていった。
オーバさんからは話しかけられる事が格段に増えた。挨拶はしてくれるけれど、別に私と何か話したいという訳でもないようで、彼は毎度ねっぷうのように過ぎ去っていく。
逆にゴヨウさんに私はちょっと避けられている。気のせいじゃない。ゴヨウさんへ仕事の連絡がある時は、私が伝えるより、他の人に伝言を託した方が格段に早い。
私が何かしてしまったかと思って少し落ち込んだけど、キクノさんは気にすることないと言ってくれた。キクノさんに曰く、嫌われてる訳ではないらしい。
「ゴヨウくんは、貴方たちの気配を感じるとちょっと調子が狂うみたいなの。悪いことじゃないんだけど」
「貴方たち、っていうのは?」
「さんとリョウくんのことね」
なぜリョウくんが出てくる。リーグ外では会うことの増えた私たちであるけれど、リーグでの仕事中は意識しすぎないよう、やりすぎなくらい気をつけているはずなのに。
ゴヨウさんの考えてることはさっぱり謎である。
その他の職員の人たちもそうだ。なんだかニコニコして、話が合わない事が多い。周りが笑顔なことは良いことのはずなのに、上手く言えないけれど収まりが悪いのだ。
そして極め付けはシロナさんだ。シロナさんは私のような一介のリーグ職員に、楽しげな目を向けてくる人ではなかったはずだ。だけど最近ぐっと彼女の美しい笑顔を浴びることが増えた、気がする。
オーバさんから爆音のような挨拶を受け、ゴヨウさんには避けられ、キクノさん他、たくさんのみなさんはにこにこと優しい。むずむずする感覚を押さえつけながら仕事をしていれば、本日もシロナさんに声をかけられ、私は彼女のデスク周りを片付けると言う秘書まがいの仕事を手伝っている。
部屋中からかき集めた文房具を整理し直している私へ、シロナさんはご機嫌に喋りかけてくれる。
「貴女には感謝してるの。彼は随分張り切ってるみたいで」
「彼っていうのは……。もしかして、リョウくんの事ですか?」
「そうよ!」
またもリョウくん。なぜリョウくん。私は隠さず困惑を顔に浮かべたが、シロナさんは動じることなく香り立つ紅茶に口をつけている。
「いつも以上に仕事が手早くて助かるわ。貴女と出かけるのを楽しみにしてるおかげね!」
「果たしてそうなんでしょうか……」
しばらく続いている腑に落ちない感覚が、またお腹の底からもやもやを発生させている。
リョウくんは私に付き合うのが本当に楽しいのか、私には確証が持てないでいる。リョウくんが変わらず予定を空け続けてくれているから、私はそこに甘えている。だけども、四天王の仕事や、バトルのトレーニングを圧迫してる気がしてならないのだ。
私はそろそろ遠慮というものを覚えないといけない。けれども一度途切れてしまったら、リョウくんとの時間はもう二度と繋ぎ直せないのではないかとも考えてしまうのだ。結局、失う恐ろしさに負けて、私はリョウくんの時間を貰い続けているのが現状だ。
シロナさんのごった返していたデスク周りから発見したハサミがなんと合計7本もあると気づいた瞬間だった。
「ハーイ、さん!」
「リョウくん?」
「何か手伝いますか?」
本日も元気よくリョウくんが部屋に飛び込んできて、さっと椅子を私の横に並べる。自然な流れで顔を覗き込まれて、私は集めたハサミを床に落とすところであった。
「大丈夫です! むしろリョウくんの方は何か、私たちに申し付けることはないんですか?」
「大丈夫ですよ、今日やることは全部終わったので!」
「じゃあ休んでください! 事務仕事を四天王トレーナーにはさせられないよ!」
「でも二人でやったら早いですよ?」
「悪いです!」
「悪いことないって! いいから、いいから」
やっぱりトレーナーとして優秀な人は、地頭も優秀なのだろう。
私の周りに目を見渡すなり、現状を察して、リョウくんは「ボクはこっちを分別するね」と手付かずのペンの山に取り掛かった。
リョウくんの余計な苦労を止めてあげたい。なのに隣に座ったリョウくんを追い出してしまうようなことはしたくなくて、私は苦く押し黙ることしかできなかった。
静かになってしまった部屋に、シロナさんの声が浅く落ちる。
「ゴヨウが逃げ出す気持ちも、わかるわね」
「え?」
「ううん、仲が良くていいわねって言ったの! おふたりさん、今日は仕事が終わったら何処へ?」
職場の人に、二人で何かしてるのがバレバレなのはかなり恥ずかしい。だけどその恥じらいは私のものだけのようだ。リョウくんはすんなりと答える。
「うーん。ボクはいつも通りを予定してますけど」
「なら私から提案があるわ。最近ね、近くの森でリーフィアが目撃されたようなの」
「リーフィアですか……!?」
思わず反応してしまった。リーフィアと言えば、イーブイが進化した姿。他の進化した姿よりは少し大きめの体を持つ、見た目も優しげで可愛らしいポケモンだ。それにむしタイプでもない。
「へー。さん、リーフィアに興味あるんだ。行ってみたい?」
「うん! ちょっとだけでもいいから、行ってみたい! やせいのリーフィア、見たことがないの!」
「いいと思うわ。でもね」
にこやかだったシロナさんは急に、声に深刻さを滲ませる。
「リーフィアが見られたってことは、何らかのポケモンの力で森が濃くなった証拠だと思うの。むしタイプのポケモンもいつもと違った姿が見られそうだから良い刺激になるとは思うけど、深い森は危険も増えるわ」
「なるほど……」
「だからね、はぐれないように手を繋ぐの、オススメよ!」
さっきまでのシリアスな深い声はどこへやら。
手を繋ぐのオススメよ。そう提案するシロナさんの声は、今度はまるで話がうますぎる販売員のようだ。
さらっと言われたけど、手を繋ぐって。そんな簡単なことじゃないですよ。声もなく慄いていた私の横から、明るい声が通り抜けていく。
「それはいい案ですね!」
「え。じゃあリョウくん、森の入り口に着いたら、あの、手を繋ぐということ?」
「はい!」
確認する瞬間と、リョウくんから了承の返事が返って来た瞬間。私は一体何色の顔をしていたのだろう。
リョウくんと手を繋ぐ。手を繋ぐ? 手を繋ぐ。
それからは同じ言葉が何度も頭を駆け巡った。いつの間にか退勤の時間にはなったけれど、仕事がちゃんと終わったかは怪しい。私が覚えているのはシロナさんのやたら楽しげな微笑くらいなものだ。
心は何も追いつかないままだというのに、今や私はリョウくんと、森の入り口に立っている。
大好きなはずの森の深い香りが、何も感じられない。感覚がまひしてしまっているのだろう。リョウくんが私に向けて、白い手のひらを広げているせいだ。
「はい、さん。ここからは手を繋ぐよ」
「あの、あの。はぐれなければ、いいんですよね? なら、私がリョウさんの服とかを掴んでいれば、それでもいいんじゃ……」
接触から逃れるためにわるあがきでそう言ってから、私は服を掴むのは無理がある案だと気づく。
リョウくんのシンプルな服装には、しっかりと掴まれるような余裕は特に見当たらない。
「うーん、それでもいいけど。やっぱり心配です」
「だよね……」
再度私へ向かって開かれる、案外長い指。この手を握るのは、はぐれないため。事故を防いで、リョウくんに迷惑をかけないためでもあるのだ。そう自分に言い聞かせ私は彼の手のひらへ指を絡めた。
初めて指を乗せたリョウくんの手は、思っていたより柔らかい。ほんの少しだけしっとりしていて、そして握り込まれるとわかる。熱い。
「っう、わ……」
薄着の体、その肌の下には熱いものが巡っている。私はその一端に触れているんだ。意識してしまえば、もう体は不自然な反応をしていた。
何も考えられなくなってる頭に、熱だけがガンガンと入ってくる。耳まで発火してるみたいに熱い。
リョウくんが近い距離にいるのに顔を真っ赤にしてしまったことが、さらに私の心と体を追い詰める。
こんなに分かりやすく恥ずかしがってはいけない。バレる。バレてしまうから。何がって、リョウくんが好きで仕方がないことだ。
「……ごめん」
おでこから蒸気でも出そうな私へ、そう謝ったのは、リョウくんの方だった。
「ボク、間違えたかも」
「え?」
「子供相手にしてる感覚で手を繋ぐって言ったけど、なんか……」
リョウくんが続く言葉を探す間にも、指からゆっくりと力が抜かれていく。私の手を握り込んでいた熱さが、ゆっくりと切り離されそうきなるのを悟って、私は乾いた喉で嘘をついた。
「ほ、ほんと! 子供に戻ったみたいだよね大人になってからやるとなんだか気恥ずかしいね! っリョウくんは、他のむしとりしょうねんの子にも、こうやって、手を繋いであげるの?」
「……、……うん。怖がりな子にはね、手を繋いであげてる」
もう一度、ゆっくりと指先に力がこもり始める。
そうだよ、リョウくん。この手は、子供同士の手。男女の手ではないから。ここに不純なものは無いと、どうかそういう話にしておいて。この手をあと少しでいいから繋いでいて。私は胸の内で音も無く叫ぶ。
「さんは、森が怖い?」
「うん、シロナさんも危ないって言ってたし」
「大丈夫! ボクがいます」
「うん……」
やがて私たちは森の霧に包まれる。白く深い靄の中に欲しがりな大人の顔を隠し、指先では怖がる子供を演じた。ずっと触れてみたかったものを握り込んで、握り返してくれたリョウくんを、私は後戻りできないところまで好きになってしまっている。
さく、さくと森を踏み締めるながら、私は。進展なんてとんでもない。距離は変わってない。私のみがさらに深く、リョウくんを好きになってるだけだ。
(「虫ポケモンが苦手な子とリョウくんのお話、とても好きでした……!!良ければまた続きを……!!」とのリクエストありがとうございました)
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