※刀剣女士と来派の「
昨日見た夢」のつづきのお話です。
鼻先が赤く冷える新春のことだった。ずっと探していた明石国行を、主様が鍛刀してくださったのは。何度も何度も三条大橋へ出陣して探していた来派が太刀は、鍛刀場からあっさりと姿を現して、本丸に今朝降ったばかりの新雪を踏み散らしたのだった。
ずっと探し求めていたひとがそこに立っている。本物かと疑った姿は確かに胸を膨らませて、朧気な、白いもやを吐いていた。
明石国行はけだるげな視線をよこして、それから、それから……。
「まーた"それ"ですか」
彼は私をいやに構ってくる。
また、と言いたいのは私の方だ。こいつは。また声をかけてきた。
「おー、こわ。女のナリでそんな睨まんといて欲しいわあ」
「………」
彼が顕現してからというもの、私は何度彼の横を素通りしただろう。そしてうるさく絡まれ、何度視線で訴えたことか。
彼のことは探していた。けれどそれは国俊と蛍のため。それ以上の、私から明石国行に向けるものなど何も無い。明石国行が顕現した今、来派に私はお役目御免とひとり気ままにやっていると言うのに、この明石国行こそが、私を何かと巻き込もうとする。
「ほんまに刀帳ばかり見とるんやなぁ」
言われてから、手の中のものを明石の視線からかばった。かばってから、ああまた子供みたいな仕草をしてしまったとどんよりとした気持ちになる。
「明石国行」
「はい」
「私のことは放っておいて欲しい」
「はいはい」
「………」
明石国行の、こういう物わかりの良さそうな返事は信用してはならない。以前は勘でしか無かったけれど、もはや確信だ。それほど彼に対する経験がもう私の中、積み重なっていた。
「刀帳を見て何が悪い」
「悪いなんて一言も言ってまへん」
「言葉にはしてないが態度が物語っている」
「そうやろか」
「そうだ! だから腹立たしい。私の好きにさせて欲しい」
「じゃあ好きにしたらええ」
「言われなくともする!」
明石の視線からかばいつつも、刀帳を広げる。すると目の前で華やかさが弾ける。
付喪神はそれぞれに、思い思いの姿をとって顕現をする。戦うため、そして私が女体であるのと同じように、主に自らを示すための姿だ。戦装束であり、私たちが付喪神として物語ってもらうための舞台衣装でもあり。そういった姿形が納められた刀帳は、広げてみるとなかなか壮観である。あらかた埋まっているとくれば尚更だ。
ただ今は、国俊の、来派の後ろは空欄になっている。極の姿を記すために場所だ。国俊自身も最近は何か考え込んでいる様子だ。あのお祭り男がやけに静まりかえっているのだからきっとそう遠くない内に、自身を極めるための修行へと旅立つのだろう。
「眺めても刀が増えるわけじゃありまへん。ぼーっと、寝ましょ」
「い、や、だ」
「あー、働かないでする昼寝は最高に気持ちが良いですわあ」
「………」
明石国行の前評判は聞いていた。それでも目の前の現実に呆れてしまう。
絶対に口にしないと決めているが、明石国行を目の前にしたあの瞬間は夢心地だった。明石国行を探すこと。それは必ず痛みを伴う作業だった。
三条大橋は決して易しい出陣先では無い。無傷で切り抜けるのは至難の技で、部隊が無傷で敵将を撃破できたことなんて今まで一度もない。そういうところを繰り返し出陣してきたのだ。だから彼を目の前にする時は必ず、自分は傷を負った姿なのだと覚悟していた。痛みを堪えて彼の手を引っ張り、あの二人の前に突き出さねばと思っていたのに、それは夢に散り、今はいけすかない明石が隣でぐうたら寝転がっている。
「はぁ……」
「それは何のため息ですかぁ?」
「極、良いなぁって。憧れる。けれど、私に極になるための道筋が見えていないのも事実だから」
「まぁ憧れている内は己を極めるなんて無理でっしゃろ。ま、自分は極になる気なんてさらさらありまへん」
「だろうね」
「
はしばらく極になんてならんでええ」
「どうしてよ」
「そしたら今度は城馬鹿って呼ばれる姿が簡単に想像できますわ」
「………」
明石国行はなんだかんだ、私の考えを読み抜いている。だから質が悪いのだが。
私が極への道を望むのは主様のためというよりは、ただ自分が戦いたいからだ。
本当は延享年間への出陣をさせて欲しい。そこで強敵の苦無を切り伏せたい。そしてもちろん、未だ出会えぬ亀甲貞宗を見つけたい。
「戦馬鹿、橋馬鹿に続いて城馬鹿。めでたいですわぁ」
「……明石」
「んー?」
「今までの事、私は後悔はしていない。何馬鹿と呼ばれても構わない」
「こっちもあんさんが勝手にやったこと、後悔されても困りますわぁ」
「その通りだ」
十分承知している。この刀を待っていた国俊と蛍に、妙に肩入れしてしまったのは私の身勝手だ。
「今、主は亀甲貞宗を捜索している。私は見つけたいと思う。けれど明石ほどじゃない」
笑みを消して、けだるげな目がちらりと私を見た。彼の目は普段あまり変わらないけれど、その口元に笑みがあるか無いかでかなり印象が変わる。
「物吉貞宗も、太鼓鐘貞宗も、あなたが来なかった頃の蛍丸や愛染国俊とは違う」
「そおですか」
「来派はやっぱり仲が良いと思う。粟田口の連中とはまた違う結びつきを持っていて。私は素敵だと思う」
眷属としての結束では無く、互いが自由でありながら確かに互いを心に住まわせている。国俊も蛍も、放っておいたら突っ走ってどこまでも行ってしまいそうなのに、胸中にはしっかりと彼らの中心を決める、支点があるのだ。
「来派が揃って良かった」
「どこが揃うてるんです。蛍は出陣、国俊は内番。ここに来派はひとりぼっちですわ。あーぼっちもぼっち
、寂しいわぁ」
「何が言いたいんだか」
苦笑いで肩をすくめる。
と、廊下を童子の影が横切る。翻る、白の外套。大きな瞳は真っ直ぐ前を見ている。前田藤四郎だ。
お盆には茶が乗っていた。もちろん主様のためのものだろう。彼は彼のやり方で甲斐甲斐しく主様に付き添っている。お茶を汲んだり、肩を揉んだり。そういった愛嬌に欠けた私には彼のマメさもまた憧れの対象だ。
私は思わず廊下を行く彼を見守った。頼りになるが、小さな背。刀帳の表面で指が滑る。主様が今探す刀剣男士は亀甲貞宗。それに三池派のソハヤノツルキ、大典太光世。
「なあ。ちょっとー?」
「ん? ごめん、なんだった?」
「何や、前田藤四郎相手にぼーっとしてはりますけど、さっきからここにぼっちがおるって言うてますやろ」
「……大人のナリして構ってとでも言うつもり?」
「自分らの見た目なんてアテにならへんのは、あんさんも重々承知のはずや」
それでもその太刀を巧みに振るえる男の姿で"寂しい"はキツイものがある。明石は食えない男だとわかっているから尚更だ。
本日何回目かの呆れた視線を向けると、明石は目を閉じてしまった。
「
」
明石国行は私の考えを読み抜いている。
「誰かを寂しがりやと決めつけする病気は、治さんとあかんで」
だから、質が悪い。彼が目を閉じていて良かった。自分が苦くみっともない表情をしてしまったのを見られずに済んだ。
「放っておいて欲しい」
「だーめ。放っておいて寂しくさせたらまた周りに誤解させるだけですわ」
「誤解?」
「
は優しいやつだ、って」
自分自身を見抜かれていることはばつが悪い。だけど、それをばっさりと言い切られのは気持ちが良い。
明石国行を探した理由。その半分以上は、自分のためだった。己を取り巻く寂しさの振り払い方が分からない、自分の満たし方が分からないから、代わりに国俊や蛍を利用したのだ。彼らを満たすことで、自分が癒されようとしたのだ。
「あはは。私のこれは病気かぁ」
「そういう性質なのかも分かりまへん。誰かの寂しさを満たしたいと願うこと、それに対し馬鹿のように真っ直ぐなのは長所かもしれへんけど、場が治まったらほなさよなら次行こか!って……。自分に言わせてみれば短所や。自分らは使い捨てか! 質が悪くてかなわんわ」
「使い捨てなんて。私は、そういうつもりは無いのだけど」
「おーおー。言いましたな? せやったら次に行くことは許さへんでぇ」
「次って……」
「本丸一番の寂しがりは来派と思ってくれて構いまへん。
には前田藤四郎じゃなく、来派に尽くしていただきましょ」
「………」
「自分は別でも、蛍と国俊のこと、今までと同じに接してくれたらそれで構いまへん」
別に明石国行のことを苦手になる予定は無かった。私に彼への警戒心を植え付けたのは、ほかの誰でもなく明石自身だ。
言うと明石は仰向けに寝転がって、自分の腕を枕に目を閉じる。
「ほら、寝ましょ」
「私はいつだって強くなりたいし、元々サボるのは苦手だ」
「はいはい」
「……こういうのは、慣れないんだけど」
「慣れるまでおったらええ」
閉じた刀帳を両手で握りしめ、畳に背中を合わせてみる。横を見ると、ごろ寝した明石国行と目が合った。
明石のそんな、国俊や蛍に向けるような目は初めてだった。慣れない。彼がそんな表情をしたこともそうだが、繰り返しついてまわる、身を寄せる場所の無い現実が染み着いた身にとっては、決して知り得ないものだった。
目を反らして、胸いっぱいに詰まった息を細く長く吐く。この身に兄弟がいれば、兄弟の記憶があれば私は、この明石国行の眼差しを冷静に、期待など抱くことなく受け止められたはずだ。吐ききって、この身を呪ってまた息を吸った。