恋を捨てようと思った主と告白するダンデや、恋を捨てようと思った主とダンデのおかわりと同じシリーズになります







 薄く上る煙。火の色。胸の奥を突く匂い。香りがオレの汚れた頬を撫でる。

『あ、キミかぁ』

 あたたかいものの中心にいた彼女がオレに気がついて、目を細める。

『またご飯を食べにきたの?』

 違う。キミがいるところへ、オレは安堵を覚えに来たんだと、それが言えなかった。







 もはや立ったまま本日最後の仕事を終わらせ、オレは駆け足でタワーを降りる。今日は珍しくオレの仕事終わりが、彼女の定時に合わせられそうだ。それが分かった時点で、に連絡を入れ、彼女の勤務後の時間を予約してあるのだ。
 今夜これからと会うんだぜ。秘書にもそう伝えたので、もう滅多なことではオレを呼び出したりしないだろう。

 エレベーターの中でもそわそわと体を動かし、ドアが開いた瞬間に人にぶつからないよう避けつつ、飛び出す。バトルタワーの外で、が待っていてくれるはずだ。周りを見渡して愛しい影を探す。あっちだろうか、とオレが一歩踏み出した時だった。

「こ、こっちだよ!」

 くい、と袖が引っ張られる。歩き出そうとしたのと正反対の方角にが、焦ったように立っていた。

「危なかった、ダンデくんがまた迷子になるところだった……!」
「待たせたな」
「ううん!」

 すでにシャツのボタンをひとつ緩めた#に「ダンデくん、お疲れ様」と笑顔をもらう。

「忙しいはずなのに、こんな早く来てくれると思わなかったよ、ありがとう」
「どこ行こうか。何が食べたい気分なんだ?」
「そうだなぁ」

 先週はカロス料理食べたんだっけ、じゃあ今度はカントー料理店探してみる? なんて、今夜食べたいものを真剣に考えている彼女は素朴だ。つられて、カントー料理ならさっぱり系か、などと考えているうちにオレの頭の中からもすっかり仕事のことが隅へ追いやられて行く。

「そうだ、今日はこれで移動しないか?」

 そう言ってオレは、広場で客を待っているアーマーガアタクシーを指差した。

「いいよ! たまには贅沢しちゃおうかなぁ」
「アーマーガアタクシーは贅沢なのか?」
「すごく楽だけど、その分お金もかかるし。ダンデくんはポケモンと歩く方が好きだろうけどね」
「ああ、そうだな。でも今日はポケモンたちにも休んでもらおう」

 ポケモンを休ませるというのは、彼女をアーマーガアタクシーに押し込む口実だ。
 ポケモンたちと自分の目で景色を見ながら歩くのはもちろん大好きだ。だが、ポケモンたちと帰るとどうしても彼女の意識の半分が相棒のアーマーガアに行ってしまうのだ。お互いのポケモンも交えながら話す時間もいいが、全ての意識がオレには向いていないことが、どうしても口惜しかった。
 アーマーガアタクシーの中ならゆっくり座っていられて、オレが道に迷う心配もない。そして、彼女と隣並んで座ってゆっくり話ができる。それだけで良い時間になると思われた。

 そんな思惑に気づかないはあっさりと「そうだね」と頷いた。
 タクシーに近づくと、運転手はにわかに期待を込めた笑顔を浮かべる。

「乗って行くかい?」
「ああ、頼む」

 ドアを開けてをエスコートすると、彼女は「ダンデくん、そういうの似合うなぁ」なんて顔を赤らめて笑う。こんなことでもすぐ可愛い仕草が出てくるのだから驚かされる。
 オレも乗り込み、柔らかなシートに身を落ち着ける。運転手がドアがしっかりしまってるのを確認すると、ゆっくりと車が浮き出した。みるみる窓の外が下へ、遠くなる。

 やがて眼下に広がる、シュートシティー。夕暮れ時と、時間帯もちょうどいい。オレンジのベールをかけられたような街に、は子供みたいに瞳を輝かせている。そんな彼女がすぐ横に座っているのだ。アーマーガアタクシーに乗ったのはやはり正解だった。

「うわぁ……。こういうお仕事をするアーマーガアは飛ぶのが上手だなぁ」
「ああ、すごくスムーズだ」
「外の景色、すごく綺麗だね」
「そうだな」

 同意しながら、の言葉がかすかに引っかかってしまう。
 一番に出てくる感想が外の景色ではなく、アーマーガアのことなのか、と。

 せっかくお互いのポケモン抜きに移動時間を過ごせると思ったのだが。顔には笑顔を貼り付けたままだが、内心、不貞腐れそうになる。

 キミは本当にオレのことが好きなのか?
 そしてオレはどうやってキミの気持ちを確かめたらいい?

 が自分のポケモンと確かな絆を持っているのは素晴らしいことのはずなのに、オレは笑顔の裏で揺らめくものを感じる。嫉妬の炎、というやつだろう。
 自分はこんなにめんどくさい男だっただろうか。彼女が一緒に旅してきたポケモンに関心を向けることすら、許せない気持ちになるなんて。
 心の内をに悟らせないためにも、景色を見てリラックスしているように振る舞っている。そのおかげもあって車内は穏やかな静けさに包まれていた。だからだろうか。不意に、肩にこてん、と何かが当たって驚いた。

 肩に預けられたのは、彼女の頭。そして車内にそっと走るのは、穏やかな寝息だ。

?」

 呼びかけにも応えない。やはり寝ている。小さな接点からじんわりと広がる体温は高い。

「お疲れ様だぜ」

 オレは苦笑いで外の景色に目を戻した。
 深いの寝息。タクシー運転手もに配慮してか、何も喋らない。

「そういえばキミは言っていたよな……」

 遠くまで伸びる夕陽の色は、あの日の焚き火の色にも重なる。
 誘われるように、オレは彼女と出会った頃を思い出し始めていた。





 ワイルドエリア。パワースポットから立つ、赤や紫の柱。
 ここ数日、街にもたどり着けず、へとへとになったオレが引き寄せられたのは、赤でも紫でもない、白の細い煙の柱だった。
 と言っても、最初はキャンプの煙と気づかなかった。遠くから見たそれを、パワースポットの柱だと思い込み、まだ見たことのないポケモンがいるかも、と思って近づいた。だいぶへとへとなくせに突き進んだオレは、今から思えば若かった。

『大丈夫ですか?』

 茂みから顔を出して、パワースポットじゃなかったと面食らうオレに、そう声をかけてきたのがだった。

 すぐにすまない、パワースポットと間違えたと言おうとしたのだが、受け答えが曖昧なオレを心配したは、オレを焚き火の近くに招いたのだった。
 火の近くに座らせると彼女はまずゆっくりと水分をとらせてくれた。それから濡らしたタオルで、オレに顔を拭くように言った。言われたままにタオルで顔を擦ったら、白かったはずのタオルが土色に染まって驚いた。

『カレー、食べる元気はありそうですね。甘口と辛口、どっちが好きですか』

 そういえば最初のは、今に比べかなりよそよそしかった。
 見た目は同い年くらいなのに、オレに対してお店の店員みたいな言葉遣いをしていた。

『オレは少し辛い方がいい、かな』
『わかりました』

 それを聞くとは、カバンからクラボのみを取り出した。クラボのみを、素早くナイフで刻む。とんとんとんとん、とナイフが木の板を叩く、リズミカルで心地のいい音。それにうとっとしかけたところで、は自分の分のカレーをよそってから、残りのカレーにクラボのみを混ぜたのだった。
 少し待ってね。優しいささやきに頷きを返して、オレはよく躾けられたワンパチみたいに大人しく待っていた。

『はい、ゆっくり食べてね』

 手渡された温かなカレー。スプーンいっぱいにすくって頬張ると、クラボのみの辛みがちょうどよく混ぜ合わさっていた。辛口ではなくて、オレが言った通りの”少し辛い”カレーだった。
 はその横で、自分好みの甘口カレーを食べている。

『あ、私はです。このアオガラスは私の相棒。キミは?』

 そう言われて、オレは彼女に名乗ってもいなかったことに気がついた。手元のカレーはあっという間にほとんど食べてしまってるというのに。は気にした様子もなく、アオガラスがカレーをつついてるのを愛おしげに見つめていた。

 感覚としては恋に落ちたんじゃなく、落とされた、だった。進んでから退路を断たれたのだから、オレにとって彼女を好きになる意外の道はなかったと思える。
 今思い出しても峻烈で、まつげに乗っていた火の揺らぎさえ覚えている。


 今も同じだ。タクシーの中。彼女とポケモンたち抜きでゆっくり話したいというオレの目論見は外れた。けれど、長くなってきた陽の赤い色。肩に寄りかかったつむじはまだ、柔らかな寝息を立てている。
 彼女にいたずらな裏切りを受け、想像していたのを超えた心地よい時間が今、オレを包んでいる。

 充足感を覚えながら、同時に不服の声をあげそうになる。オレの自由意志で彼女を好きになったのでない、巧妙に好きにさせられた。は全く身に覚えがないと言いそうだが、やられっぱなしで悔しい限りだ。

 ともかく、恋に落とされて、オレはワイルドエリアでキャンプの煙を見つければ積極的に覗きに行くようになった。ではないトレーナーの時は肩を落として落胆し、代わりにの姿を見つければ飛びついた。それからいくつか会話のパターンを考えてから声をかければよかった、と何度後悔したことか。
 何回も会って、キャンプを一緒にすれば、とオレはどんどん打ち解けていった。

 彼女のお手製のワイルドエリアマップを覗き込んで、互いに見たものを書き込んでいく。ダンデくんの目測はハズレなしですごい、とに褒められた時は相当嬉しかった。

 一緒のテントで眠るのももう何度目かだった。
 けれどその日は、はそっと起き出して、テントを抜け出した。横になったまま戻ってくるのを待ったが、戻ってこない。テントから顔を出すと、はずっとブランケットを被ったまま外に座り込んでいた。

『どうしたんだ?』

 気にしないで、とは一度口を閉ざしたが、オレがしつこく聞けば彼女は申し訳なさそうに打ち明けてくれた。

『ほんとはね、私は誰かと一緒にいると寝られないの。なんだか緊張しちゃって』

 彼女の目のゆらぎに勘が囁いた。違和感が匂った、と言ってもいいかもしれない。とにかく、悲しくも分かってしまった。彼女が嘘をついたことに。
 オレから離れたいがための体のいい嘘。彼女にとって何が不都合だったのか、その嘘で何を守りたかったのかはわからない。ただわかるのは、オレが近寄ればきっとは同じ距離だけ離れていく。

『そうか』

 オレはその嘘を飲み込んで、見過ごすことにした。なんでそんな嘘をついたんだと問い詰めて、そこから先を聞く勇気はなかった。深く掘っていけばその奥に、オレへの拒絶があることは明確だった。




「……、誰かと一緒にいると寝られないんじゃなかったのか?」

 あの頃の言葉はすっかり忘れて寝入っているに聞いて見た。もちろん返事はない。まだ気持ちよく寝ているらしい。オレも答えが欲しかったわけではないので、が寄りかかってない方の肩を軽くすくめた。

 なんでそんな嘘をついたんだ。そう聞けばよかったとは今も考えていない。だが、聞いておけば、その後は少し違ったかもしれない。そう思うのは、その日の嘘がオレをひどく臆病にさせたからだ。

 の嘘を飲み込んだそのあと。オレたちは街中でお互いを見つけた。だが声をかけることはできなかった。
 その頃のオレはすでに、ジムチャレンジ、トーナメント、それから道中でのバトルでも一切負けなしで走り続け、チャンピオンへの道を順調に歩んでいた。そのせいか、街中で人に囲まれることが多くなった。チャンピオン最有力候補のダンデである、と気づかれるとあっという間に人が集まってくるのだ。

 待ってくれ、という声が喉まででかかった瞬間に蘇ったのは、二人で眠るはずのテントから音を殺して出ていった、そして幼い関係に線引きするような嘘を口にしただった。
 を追いかけようとしても、あの日の彼女がオレを迷わせ、そして応援しているという人混みに押し負けてしまう。そして戸惑っている間に目があったはずのもまた、別の方角を見て、オレとは反対の道を進んでいったのだ。

 オレが変わっていく中で、が変わらない中で、開いて行く距離。オレを遠巻きに眺めて去っていく彼女をつなぎ直す道は恐らくあった。けれど、追いかけたいという気持ちを折ったのは、あの日にオレが飲み込んだ嘘なのだ。

、着いたぜ」

 肩を揺り動かせば、はかすかに唸ったあと、目を丸くして呆然と呟く。

「え……、意識、飛んでた……」

 の驚きように思わず笑う。確かにはあっという間に寝入っていた。本人としても言葉の通り、気づかないうちに意識が飛んでいたのだろう。
 目を丸くする彼女の手を引いてタクシーから降ろすと、すっかり変わった景色にまた驚いき通している。

「ごめんね、ダンデくん。いつの間にか寝ちゃってた……!」
「気にしないでくれ。相当疲れていたんだな」

 疲れているところを、オレも近い時間で上がれそうだからと誘ってしまったのだ。約束を取り付ける前にもっとの体調を聞いてあげればよかっただろうか。そう今更考えるも、すぐさま否定される。の可愛い一面を見られたことを思うと、やっぱり誘わない道はなかった。

「疲れていたのもあるけど、なんだかすごい眠気が来ちゃって」
「オレの隣は寝心地良かったか?」
「うん。ダンデくん鍛えてるからかすごくあったか……」
「誰かと一緒にいると寝られないんじゃなかったか?」

 ヒヤリと首筋が冷えた。聞くはずのなかったわだかまりが勝手に口から出ていた。の言葉を遮っていて、我ながら不穏な響きをだった。しかも何年も前に一度言われた彼女の癖をしつこくオレが覚えていたことまでバレたではないか。
 またが目を丸くしている。が次に何を言うのか。にわかに心臓が嫌な音を立て始めてる。痛さを抑えつけながら悟った。ああ、やはりなんで嘘をついたのか聞くことは、少年のオレにはできなかった。

「そんなことをダンデくんに言ったこと、あったなぁ……。懐かしいね?」
「あ、ああ」
「だけど最近ダンデくんと一緒にいると安心しちゃうのか、すぐ眠くなるんだよね」
「………」
「あ、もちろんどきどきもしてるんだけ、ど、……!」

 まただ。予想を裏切られる。彼女が自分の発言を肯定するとは思わなかった。そしてそのまま、あの日に飲み込んでトゲみたいに刺さったままだったものまで溶かされるとも思っていなかった。
 ダンデくんがそばにいたらだめなんだよと言われたみたいで思い出すたびに、傷の痛みに少年に戻されていた。それが、やっぱりの言葉によってようやく安心を覚えている。

 キミは確信犯だったのだろうか。かすかな痛みによって初恋を長引かせ、恋人同士になった今頃、用済みと言わんばかりにそのトゲを抜き去った。オレに恋を捨てる道はなかったが、それもキミの罠だったのではないか。
 本人は自分が口走ったことが後から恥ずかしくなったらしく、手を意味なく振っているが。

「カントー料理、だったか?」

 彼女の言葉を追求していじめてみても良かったが、流して話を切り替えるとはありがたいと言わんばかりに食いついた。

「そ、そう! お腹すいたよね、よし行こう!」
は水辺のハーブは食べられるのか?」
「ちょっとだけなら食べられるけど、でもいつもハーブ抜きお願いしてるかなぁ」

 無邪気にオレの横を歩く恋人。キミに自覚はあるのかと聞いて見たい。
 でも、どちらでもいい。聞いても聞かなくても、答えてもしらばっくれても。どちらにせよ責任はキミ自身に取らせるのだから。