※上手く喋れない使用人と鈍感な膝丸 → 上手く喋れない使用人と鈍感な膝丸2 → このお話、です
私が今のお仕事に応募した理由のひとつは衣食住の確保でした。住み慣れた賃貸と職場を一挙に失った私にとって、それは切実な問題でした。
その問題を解決してくれた、渡に船の求人票は、今思えば罠のようでもありました。
広いお屋敷に、住み込みで、主人であるおひとの事務処理も含んだお手伝い。そこまでは実態に即していたのですが、後ろにはかっこがきでこう書かれてあるべきでした。
(ただし、大人数の付喪神との共同生活も含む)
それでも私は今の仕事に慣れ、満足を覚え始めていました。そのひとつが本丸でいただく食事のおいしさです。
何よりもお米が良いです。ふっくらとしていて、つやつや。口に含むとほんのり甘く、雑味がまったくありません。飽きることのない美味しさなのですが、それに負けないくらいに四季折々、旬のものがまた美味なのです。
美味しいお米と旬の食材。ふたつが兄弟のように合わされば、まさに最強としか言いようがありません。すっかり胃袋を掴まれてしまった私は今日も浮かれつつ、お昼時となった食堂へ向かいます。
「あ、さん! お疲れ様です!」
ひらひらと手を振ってくれたのは鯰尾藤四郎さん。奥には骨喰藤四郎さんもいます。
私へと向けられる四つの瞳は、円らで、綺麗すぎて、ふとしたら見つめすぎてしまいそうです。失礼な振る舞いをしてしまいそうでなんだか怖くなり、私はぺこぺこと頭を下げ、そそくさと食堂の隅へと逃げ込みます。
お盆を机に置き、腰を落ち着けた私は本日の献立に目を向けます。
配られたお昼ご飯は定番のおにぎりに漬物に汁物。そしてもう一品が私の胸をときめかせます。
なんと、めざしです。細身ながらふっくらと焼けたお魚が、平皿に二尾もあります。
いただきます、と口の中で唱え手を合わせてから、箸で身と皮を少し口に入れると、うん、お塩が控えめでありがたい。
私はそそくさと弁当箱を取り出します。おにぎり半分、めざしは二尾とも、詰め込みます。
残ったおにぎりと漬物なら、そう食べるのに時間はかかりません。私はぱくぱくと残りを口に詰め込みます。
お昼ご飯はなるべく素早く食べると決めていました。あまりゆっくりしていると、周囲が刀剣男士の方で溢れかえってしまうからです。
この本丸の食事時は賑やかです。朝も昼も夜も、会話や笑顔や微笑ましいやりとりが絶えません。
そしてみなさんが優しいので、気安く私も輪に入れてくれようと声をかけてくれます。
お気持ちは嬉しいのです。ですがそれがわたしにとっては時に身に余る光栄、過ぎた荷に感じられました。仲間に入れてもらえて嬉しいのに、そこで楽しい冗談の一つも言えないことが後で後悔として長引いて、眠れない夜もあります。
だからここでの食事は最高なのに、食べている時の私はどこかで緊張ばかりしています。
みなさんの優しさをかわそうとしている私は、嫌な人間だと思います。
でも下手なことを言って困らせてしまうよりはずっと良い。その考えがやっぱり正しく思えて、私はものの五分で昼食を終えます。ご馳走様の手を合わせようした時でした。
「さん!」
私より大盛りの白飯に、欲しい人が自分で盛り付けるお味噌汁から湯気をくゆらせた、鯰尾さんでした。
「もう行っちゃうの? お昼、足りてる? 良かったら俺のめざしも食べてよ」
目を丸くしている間に、空になった平皿にめざしが載せられます。なぜ私にめざしを? しっかりと食べなくてはいけないのは圧倒的に鯰尾さんなのに? 私はそんなに食い意地の汚そうな顔をして気を使わせてしまったのでしょうか。
たかがめざし。私にはされどめざし。急に考えがぐるぐると回り出して、息が詰まります。
「ほら、この前俺が食べた大福。さんのだって知らなくてさ。ごめんなさいってことでお詫びの印。あ……、やっぱり甘味は甘味で返さなきゃだめ?」
なるほど、鯰尾さんの意図は理解できました。
これでも私だって社会人。今までの職場で普通のやりとりはやってきたはずだし、できるはずなのです。
落ち着けばいける。深呼吸。吸って、吐いて、吸って、吐いて。
「……さん?」
まだ落ち着き足りないのでもう一度。吸って、吐いて、吸ってぇ、吐いてぇぇ……。
「なま、ずおさん」
「う、うん」
「気にしてない、です」
言えた。結構普通だった、と思います。なのに数秒の間があって、鯰尾さんは体を二つに折って笑い出したのでした。
「すっ、すごい難しい顔をして何度も深呼吸してるから! 何かと思ったらっ……あはっ、あははは」
単純に私の顔が面白かったのでしょう。悪気はない朗らかな笑い声が、ただただ恥ずかしい。
「笑いすぎだぞ」
「ご、ごめっ……でもっ! っ、あははは!」
骨喰さんに耳打ちされても、鯰尾さんは目尻に涙を浮かべて笑っています。
うまく喋られなくて恥ずかしいのはいつものこと。だけどそんなに笑ってもらえるなら私の変顔も捨てたものじゃないかもしれません。恥ずかしさで焼け焦げてしまいそうではありますが、鯰尾さんの朗らかな笑い声に、あまり悪い気はしません。
私はありがたく、鯰尾さんから頂いたもう一尾のめざしもお弁当箱に詰め込んで、一礼をして食堂を後にしたのだった。
食堂を早めに抜け出すのには、もうひとつ理由があります。
自室に戻り、ただいまを声に出さずに唱えます。窓辺を見れば、その子は今日も気持ちよさそうに寝ていました。帰ってきた私には気づいているようで、三角の耳をぴくぴくとさせ、うっすらと目を開ける。そしてまた眠ってしまったあたり、猫というのはやっぱり、自由気ままな生き物のようです。
先々週のことでした。私が本丸に迷い込んだその猫を見つけたのは。
少し小柄なその子は、出会った時、一声も鳴きませんでした。ぼろぼろに汚れていて、外の世界を宛もなく彷徨っていたのは一目瞭然でした。おとなしく私に抱き上げられてくれたのは、人に慣れているからというより、抵抗する気力もないようでした。
この部屋に住まわせて二週間。温かな寝床と、食事。それから時々体や目ヤニを拭いてあげた成果が出たのか、今はすっかり気持ちよく寝ています。
薄汚れていた毛並みは随分綺麗になり、本来の白さを取り戻そうてしています。泥に浸けた針金のようだった尻尾も、今はふわふわとしています。
私はその子の眠りを妨げないようにしながら、持ち帰ったお弁道箱を開けました。
箸でご飯とめざしをほぐして、よくよく混ぜ合わせれば、いわゆるねこまんまの出来上がりです。
めざしの匂いにつられて、猫は夢から覚めたようです。ぐーんと伸びをしてから、私の手元に顔を突っ込んできます。
はい、どうぞ。口ではそれを言わずに、私は猫の前に差し出しました。夢中で食べ出した猫のしなやかな背を、私はゆっくりと触ります。柔らかくて、ふわふわです。
「……、……」
この猫は私にとって、この本丸に雇用されてから初めての友達です。
審神者様はもちろん上司にあたる方なので、友達と呼ぶわけには行きません。付喪神の皆様方は優しくしてくれますが、優しいからこそ、軽々しく友達と思ってはいけない気がするのです。
対して猫は上司でもなければ神様でもない。加えて相手は動物です。喋らなくても良いし、向こうから話しかけてくることもない。そう思うだけで、私はほっと安心できるのです。
柔らかな体に触って癒されて、午後からも頑張ろうという気持ちをゆっくりと腹の底に溜めている時でした。
「!」
私の部屋を通り抜けた声に、畳の上から飛び上がったのは、猫も私も同じでした。
猫は食べかけのご飯を置いて、真っ先に棚の奥へと身を隠しました。でも遅かったようです。膝丸さんの鋭い目線は、確実に猫の影を捉えていました。
「今のは……?」
「ひ!」
「うわあ!」
膝丸さん。それさえ言えぬまま私は膝丸さんに縋り付きます。膝丸さんが驚いて一歩下がっても、私は食いついて必死に膝丸さんを見上げます。
「ああああああの、どう、どどうか! ご……、ご内密、にっ……!!」
膝丸さんは詰まる私の言葉を、ゆっくりと聞いてくれました。
私の真正面に綺麗に正座をした膝丸さんは、眉をひそめながら確認します。
「つまり。君は、少し前にこの本丸に迷い込んだ猫を拾った。飼って良いのかわからなかったので、誰にも言わず、内密に世話を続け、食事は自分のものを分け与えていた……と?」
合っています。なので私は頷きます。
「動物を飼っていいかは契約書に書いていなかった。なのでいけないことをしているかもしれない。だが、もし追い出されたら可哀想だ、自分が部屋から出さずに面倒を見るし責任もとるので、黙っていてほしい、と。……そういうことだろうか?」
合っていることには合っているので、頷く。大事なのは猫を飼っているという秘密を守ってもらえるかだ。膝丸さんに了承してもらえるかが肝心なのに、膝丸さんは次の話をしてしまう。
「その、まず、驚かせてすまない。君を、最近食堂で見かけないから、ずっと気になっていたんだ。きちんと食べているのかどうかも含めて、様子を知りたかった」
相変わらず膝丸さんは、この本丸の中でも一等世話焼きの刀剣男士のようです。こんな立派な弟さんがいて髭切さんはさぞかし鼻が高いことでしょう。
膝丸さんは硬い表情ながら、私を心配してくれているようです。
確かに私は健康な成人ですので、生きていればお腹が空きます。お腹が空いたらその時はちゃんと食べています。
食事が足りていないとは感じていません。ですが最近、自然と少し痩せた私は思わず手首を隠します。誤解を招きたくなくて隠したのですが、膝丸さんに、じっ……と見られた気がして、私の首を冷や汗が伝います。
「残さず食べよと三日月が言ったのを気にしてるのではないかと聞いたが……。そういうわけでもない、と」
そこについては思わずぶんぶんと首を縦に振りました。
好き嫌いが言えないとか、食べきれないから隠すとか、そんな子供みたいな真似はしていません。三日月さんは刀剣男士の中でもかなりのご高齢だそうなので、私は赤子同然に思えるかもしれませんが。
「ぁのっ!」
やってしまった。声の音量がふらついて、変な声色になってしまった。かぁっと熱が頭まで駆け登って来るのを感じながら、それでも私は懸命に膝丸さんへ確認する。
「ひ、秘密にして、もっ、もらえ、ますよね……?」
「ふむ……」
顎に指を当て考えた膝丸さんは、まっすぐ私を見据えて言いました。
「すまない。俺は、迷っている。このまま隠し通すことはできるだろう。だが猫の世話のために、君の食事を分け与えている事は見過ごせない。やはり、ここは主に話を通すべきだ」
思わず、膝の上の手に力が篭ってしまう。私のことなら平気です。疲れ果てた様子で現れたこの猫を、また追い出すなんてしたくないし、できないとこの胸の内が言っている。
反面、膝丸さんが言うことの正しさも、私には分かるのでした。自分の行為が単なるわがままであることは承知しているのです。だから私は今日まで隠してきたのでした。
「、考えすぎるな。この本丸に馬がいるんだ。猫のことは、主も了承してくださると、俺は思う」
でも、私は不安でした。馬は戦に必要な、大切な存在です。その反対に、私が守りたいと思っているこの猫は戦では何の役にも立ちません。
勤めた日数は浅くとも、歴史を守るためにこの本丸は在ることはきちんと教わっています。ここに在るものは歴史のために、命を賭して戦っている。それに比べれば自分のわがままな行為は一層後ろめたい。なので膝丸さんの言葉にも頷けない。
どうしよう。渦巻き出す不安に、浅くなる息。引いていく体温。我を失いかけた私を引き戻したのは、にゃーん、という声でした。
「……っ」
影に隠れていたはずのその猫が、いつの間にか出てきて、私に頬擦りをします。まるで撫でろと言わんばかりに手にしつこく、ヒゲの根元を擦り付けてきます。
ふわふわとした動物はどうしてこう、最強なのでしょうか。戦の役には立ちませんが、入道雲のように立ち上がっていたも、その毛並みにかかれば一撃で忘れられてしまいました。
私は悲観的になりすぎていた自分に気づいて、息を吐きました。
まだ撫でてくれないのと言わんばかりににゃーんと鳴く猫を膝の上に乗せ、撫でてあげながら、私はなるべく物事が良い方向へ進むよう考えます。
きっと大丈夫。根拠が無いながらそう自分に言い聞かせます。
膝丸さんの言う通り、いつかは主にきちんと話を通さなければならない。優しいあの方のことだから、ここで飼い続けるのが難しくとも、きっと悪いようにはならない。そう信じようと思えました。
「わっ……私……、審神者様に、は、話します……」
「そうか。君から話すなら、俺は見守っていよう」
「お願いしま、す……」
柔らかく温かいものを撫でていたおかげか、私にしてはするりとその言葉が出ました。
きちんと意思を伝えられたおかげか、幾分安心したかのような膝丸さんの表情にも、私は少し嬉しくなりました。
「……、いいな」
そう呟いた膝丸さんの表情は、何かを褒めたのに似つかわしく無い、苦々しいものでした。
何がいいと思ったのですか。首を傾げれば、苦笑いのまま膝丸さんは言います。
「君とその子の事だ。俺も猫になりたくなった」
「ねこに……」
猫に? 膝丸さんが?
驚いてもう一度反芻していまいます。膝丸さんは、猫になりたい? すぐに私は膝丸さんの頭の上を見ました。薄緑の毛並みの三角耳がぴょこんと生えてくる、そんな想像が自然と走ります。
「ち、違う!」
他の部屋にも届きそうな大きな声でした。膝の上の猫も驚いて、首を縦に長くしています。
膝丸さんは立ち上がって、大きく手を振りながら力説します。
「猫になりたいというのはな! 決してその、変な意味ではないぞ! その、君を言葉なぞ無くとも励ましたり、不安を取り除いたり出来るのが、良いと思っただけだ!」
それもなんだか、大層なことを言われた気がします。聞き間違えでしょうか。
「い、今のは違う!!」
違うようです。どうやら私の聞き間違いか、勘違いのようです。
じゃあ私は何を言われたのか。今までの流れを思い出しても、ぐるぐると疑問ばかりに思い当たってしまいます。
ああもう、落ち着きたい。なのに捲し立てる膝丸さんを目の前に、私はどうにも冷静になれません。
話された言葉の意味がわからず、おろおろとしている私から失望したのでしょうか。膝丸さんはついに背を向けてしまいました。
「すまない、忘れてくれ……」
こくこくと頷きましたが私を見ない膝丸さんから見えているのかは不明です。肩を怒らせたまま、膝丸さんはこちらを向きません。
私は何か謝ったらいいんだろうか。でも何を、謝ったらいいんだろうか。膝丸さんの気持ちを和らげる何かを差し出したいのに、答えが私にはわかりません。今ばかりはふわふわ猫の効能も無力のようです。
お互いが、途端に固まってしまった部屋の中。
かーん、と外の鐘が鳴ります。お昼の休憩時間が終わることを知らせる鐘です。
「俺は、必ず力になる」
こちらを見ないまま、膝丸さんはそれだけ言い残して出ていってしまいました。
午後の仕事はあまり順調とは行きませんでした。
なぜだか苦々しげに放たれた、猫になりたい、という膝丸さんの言葉。早く忘れなきゃ。そう思えば思うほど、私はあの光景を繰り返しなぞってしまうのでした。